過去の成長体験などに捉われず新しい発想が必要

 今年6月に経営の第一線から外れることを決めたもう一人のカリスマ経営者であるスズキの鈴木修会長も、長年、後継者問題には悩まされ続けた。48歳でスズキの社長に就任した鈴木会長は、40年以上にわたってスズキの経営を主導。長年、ワンマン経営者として名を馳せてきた。ただ、バトンタッチを模索してきたものの、ことごとく断念せざるを得なくなった。

 00年には創業家以外で初のトップとして社長に就いた戸田昌男氏、03年に社長となった津田紘氏と、相次いで健康上の理由から短期間で社長を退いた。さらに、07年には鈴木修会長が後継者として本命視していた娘婿の小野浩孝氏が52歳の若さで急逝すると、鈴木修会長が08年に社長に復帰、後継体制が定まらない状態が続いた。15年に長男の鈴木俊宏氏が社長に昇格した後、集団指導体制に切り替えてきた。そして今年6月、鈴木修会長は定時株主総会で退任して相談役に退くことを自ら決断した。

 長年にわたってカリスマ経営者がトップに君臨してきた日本電産やスズキに限らず、後継者へのスムーズなバトンタッチの問題を抱えている企業は少なくない。

 かつて自動車部品メーカーのユーシンは、30年以上にわたってトップを務めてきた創業家出身の田邊耕二氏が、社内にグローバルな視点を持つ後継者がいないことを理由に新聞広告で社長を募集する異例の措置を実施し、世間を驚かせた。1700人以上の応募の中から、元外務省の官僚を候補者として選び取締役社長代行に就いたが、田邊氏の要求に応えられなかったようで、わずか半年で辞任した。

 その後、ユーシンは買収した事業の不振で巨額赤字を計上、以前から高額な役員報酬が批判されていた田邊氏は後継者を決めないまま17年に会長兼社長職の辞任に追い込まれ、当時の専務がトップに昇格した。そしてユーシンは18年にミネベアミツミに買収され、完全子会社となった。

 トップ交代は難しい。経営不振から存亡の危機に立たされていた日産の経営再建を短期間で実現した立役者で、約20年間にわたってルノー・日産グループを率いてきたカルロス・ゴーン氏が私利私欲にまみれて暴走するのを周囲が止められなかったことでも分かるように絶対権力者による長期政権は、周りがイエスマンで固められ腐敗しがちだ。適切なタイミングでのトップ交代による人心一新は、企業が持続的に成長していくための重要なファクターとなる。

 ただでさえ自動車産業は、電動化や、自動運転などの対応を迫られ、巨額資金を保有する米国IT大手などの異業種参入など、経営を取り巻く環境が大きく変化している。こうした大きな変革の荒波を乗り越えるためには、過去の成功体験やしがらみに捉われることなく、次世代を見据えた新しい発想で経営していくことが求められる。後継者の人選、そしてタイミングが、経営者の後々の評価にもつながる。経営を取り巻く環境の変化を正しく認識して、次世代のリーダーを育成し、スムーズにバトンを渡すことが経営者に求められている。

(編集委員 野元政宏)