スズキは2月24日、鈴木修会長(91)が6月に退任する人事を発表した。持前のカリスマ性で40年以上にわたってスズキの成長をけん引してきたが、「100周年の峠を越えたことや(同日発表した新中期経営計画で)電動化とリコールの対策という今後の方針が絞られた」ことで退任する意向を固めた。会長退任後は相談役として経営層をサポートする。

1958年に鈴木自動車工業(スズキ)に入社した修氏は、2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿として1978年に4代目社長に就任。2000年に会長になるものの、08年に当時社長の津田紘氏の体調不良を理由に再び社長に就いた。15年には長男の鈴木俊宏氏にトップを譲ったが、その影響力は変わらず、事実上、その後も最終経営判断者の役割を担ってきた。

最大の功績は同社最大の主力市場に成長したインドの開拓だ。修氏が社長に就いたばかりの1980年代初頭、インドは国民車構想のもと世界の自動車メーカーに協力を呼び掛けていたが、スズキは初動が遅く、競合他社と比べて出遅れていた。修氏はそこから大使館へのアプローチなどを進めるだけではなく、来日した現地の調査団に社長自ら技術力を猛アピール。事務方に対応を任せていた他社と比べて好印象を得たことをきっかけにマルチ社の提携先に選ばれた。

日本国内でも軽自動車の販売を拡大し、初めに社長に就任した時に約3000億円だった売上高を3兆円以上に引き上げた。日本国内では企業のトップとしてだけではなく、業界内での存在感も大きかった。

修氏は6月の定時株主総会で会長職から退任する。今後は名実ともに鈴木俊宏社長がスズキを引っ張っていくことになる。修会長はインド市場を開拓した経験を踏まえ、俊宏社長に「歩けども歩け行動しろ。そこにマーケットはある」と言葉を残した。

すずき・おさむ
中央大学法学部卒業後、銀行勤務を経て1958年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社。63年に取締役に昇格し、67年常務、73年専務を経て78年に社長に就任。2000年に会長となった後、08年から社長を兼務し、15年に社長職を俊宏氏に譲った。1930年1月生まれ、91歳。岐阜県出身。