外国人が日本の交通に慣れるのは大変
図1 混合交通
図2 狭い道でのすれ違い
図3 自転車向けの道路標示、電柱はないことに?
アウトバーンの速度規制には意味がある
「止まれ」はなぜアチコチに?

●ウェルカム外国人ドライバー

 先日、物流業界などのドライバー不足にともない、外国人ドライバーが増えているというニュースを見た。

 自国とはハンドルの位置が異なるなど、外国人ドライバーにとって「日本の交通事情」に慣れるのは大変なことだろうと想像する(海外の7割超が右側通行・左ハンドルとの調査結果がある)。

 ことわざで「郷に入れば郷に従え」という言葉があるが、外国人ドライバーに「日本の交通事情」を勉強してもらうにしても、受け入れる日本側も自国の交通制度やマナーを国際的な視点から見直すことも必要だと考える。

 日本は島国ということもあり、世界からみると異質文化的で、閉鎖的だろう。また「ホンネとタテマエ」が過ぎる社会で、それが交通事情にも表れているように思う。

 日本は、もっと外国人が仕事や生活をしやすい国になっていくことが必要だ。

 

●日本の交通事情特性

 まず、道路交通法(道交法)は完璧な法律なのか?そもそも人々が守れるような法律なのか?という疑問もある。

 現実の交通事情や人の気持ちに即した「守れる」、また「守ろう」とする法律を考えるべきかも知れない。

 日本と海外先進国の道路環境の大きな差は、日本が歩行者から自転車、さらにトラックなどが同じ道路面を共有する「混合交通」となっていることだ。結果、複雑な交通なのだ。

 つまり道交法を守るだけではなく、それぞれがコミュニケーション良く、マナーや良識をもった運転をすることが大切だということを意味する。

 人々は道交法を当然隅々まで熟知しているわけではなく知らないことも多い。法律的に相手が悪かろうが何だろうが、事故を起こさないためには、「マナー」「譲り合いの精神」や「思いやり」などを基本にした交通でなければならない。(図1)

 最近の日本人は交通マナーなどが悪くなっており、交通の流れに支障をきたしたり、最悪は事故にまでつながっているようだ。

 運転スキル不足だと運転するだけで精一杯で、マナーまで余裕がなくなる。

 根本的な問題は「運転スキルが無くても運転免許証を取得できる」ことにある。

 さらに、免許証を取得した人は自分のスキルが未熟だと知っていても、向上心はなく恐る恐る運転している人も多いようだ。当然、他のクルマと協調して流れに乗って走るなんてことは無理だ。

 周りのドライバーのことも考えられず、全体の交通の流れも捉えられず「自分中心の運転」になる。

 今、日本ではもちろん全員ではないが運転できないドライバーが運転免許証を持っていると言っても過言ではない。

 免許取得人口が平成をまたいで3分の2程度に減少しており自動車教習所の経営は厳しいが、講習内容は時代に即して考え直して欲しい。

 日本人のマナーの一例だが、狭い道路でのすれ違いで少し手前で待っていればお互いスムーズに通れるものを突っ込んでくる。(図2)

 しかも、そういうドライバーに限って大きなSUVに乗っている。

 この場合、車幅感覚もなく、動けずその場で止まってしまう。どちらのクルマの後ろにもクルマが連なる。

 ホンネで、日本の箱庭のような自動車教習所と短い時間の教習ではスキルを少し身につけるだけで精一杯だろう。

 やはり、今の時代を考えると安易に運転免許証を与えすぎではないか?

 昭和の日本では、そんなに運転スキルが無くても、街中で運転している間にモタモタしているとホーンを鳴らされたり怒鳴られたりして、マナーやスキルは「体得」していくものだったが、今は普段から自分本位の人が多く、他人に干渉しないし、運転が上手くなりたいとも思わない人が多いようだ。他人に迷惑をかけようがとにかく自分本位で走る。後ろにクルマがつながろうが気にせず(後ろを見ていない?)ユックリと走る、しかも道の真ん中を。これでは「安全でスムーズな交通」とはならないし事故を誘発する。

 

●交通法規の本音と建前

 日本は、あおり運転はいけない!飲酒運転はいけない!などと、単に表層的なことしか教育しない。

 また行政側もメディアも変なことを言うとすぐバッシングされるので、上辺の抽象的なことしか発信しない。

 なぜいけないのか?どういうことなのか?をしっかりと皆で考え共有しないから、警察に捕まるからという理由で道交法を守ることになる。こうなると、道交法は頭で理解していても現実の交通の中で運用されにくい。

 法の本質を理解しておかないと、法を破りやすくもなる。

 飲酒運転は、厳罰化されて久しいが、いまだに後をたたない。なぜか? 多くは「自分はこれくらいでは酔わない」または「捕まらなければ良い」というような気持ちがあるのではないか?

 行政も、少量飲酒、時間経過、個人差などを研究した結果定めた法律だと「毅然と宣言」することが大切だ。

 ホンネが理解されないと罰則だけで法律は守られにくいのだ。

 別の事例として、ドイツのアウトバーンなどで時速150㌔㍍の最高速度制限区間なのに、急に100㌔㍍制限になる部分がある。

 そこでは、ドイツ人ドライバーは急ブレーキとも言えるくらいグッとブレーキを踏む。

 なぜかというと捕まるからではなく、その区間を150㌔㍍のままで走ると谷間に入るため横から風が来てクルマがもっていかれるのだ。100㌔㍍制限には理由があるのだ。

 日本のいい加減な建前的な速度規制の中で走っている習慣のままで走ると危険だ。

 同じように、外国人ドライバーには日本で飲酒運転で捕まると罰金などだけでなく、社会的制裁や周囲の連帯責任まで課せられ飲酒運転で捕まれば人生が終わる?ことを周知徹底した方が良い。

 ところで一時停止の標識は、日本ではアチコチやたらとある。

 当然きっちり停まるのが法律なわけだが、これだけあると返って「イチイチ停まらなくなる」のではないか?

 ドイツでは、一時停止しないとホントに危ない場所だけに標識があり、ドイツ人ドライバーはキチンと停まる。

 日本はナゼあちこちにあるのか?ホンネは安全のためというより警察の言い訳のためなのではないか?交通法規のエビデンスをクリアにすべきだ。

 捕まらない運転でなく、事故を起こさない運転が大切だが、そうはいかないのが日本の表層的な部分というかホンネとタテマエ。

 

●スジが通っていない交通標識

 本来、自転車は専用道を走るのが望ましいが、日本にはほとんどない。(図3)

 この道路標示の意味は、「道路インフラは良くないが、気を付けて走ってネ」というのにすぎない?

 三現主義(現場現物現実)を無視して、警察の都合や事情で決められた道路標示と思う。誰が見てもバカげた道路標示だ。「モノ言う国民」にならないと税金の無駄使いは続く。

 日本は、外国人ドライバーを受け入れるのにあたって、どうやってこのホンネとタテマエの国の交通を説明し理解してもらうのか?

 日本の中でも理解されない、かなりのやり過ぎの領域に来ている。

 外国人を受け入れることを考えるのなら、彼らの教育も大切だが自らを正すことも大切だ。

 

●まとめ

 外国人ドライバーは今後も増えていくだろう。

 彼らに対する教育やサポートが不可欠なのは言うまでもない。

 一方、受け入れ側の日本の交通環境をみると、交通制度やマナーを国際的な視点から見直す必要があるだろう。

 建前的な警察が造った?道交法などの中を、運転免許証は持っていても運転未熟な人が走るのが日本だ(もちろん全部ではない)。

 しかも混合交通なのだ。すぐ前を耳栓をした自転車が信号に関係なく蝶々のように横切る。歩行者は昔の「当たり屋」レベル?平気でクルマの前を歩き、止まる。

 歩行者はクルマに慣れていてぶつかったら悪いのはクルマと弱者救済の考え方は本末転倒している。

 日本の社会自身が「本音で安全を追求する交通社会」へと変わっていくことが求められている。

 

〈プロフィル〉しげ・こうたろう 1979年ホンダ入社、34年間在籍し「CR―Xデルソル」「ライフ」「エリシオン」、2代目「フィット」「N―BOX」など数々のヒット車の開発責任者を務めた。2013年12月定年退職。現在は新聞やネット、雑誌で自動車関連記事を執筆している。1952年7月生まれ