●日本の市場とモノ造り
日本の自動車市場で多くの消費者は、その品質や機能という商品そのものよりも、見た目や企業のブランドを含めイメージを優先して購入しているようだ。
元来日本は、大陸から出来上がった文化や技術を取り入れ、それを改良することで自分たちのものにしてきた。基本的に自分たちで創っていないので、その成り立ちや意味よりも、改良した出来栄えが大切だったと思える。
私の生まれ故郷の京都にはお寺が多く、見ごたえのある仏像や庭園、建物などが多数ある。最近はたくさんのインバウンド旅行者が京都を訪れているが、彼らは仏像や建物や庭等そのものの造形美やそれらを〝造る技術〟を前にして、自分の価値観で感心する人が多いようだ。その一方で日本人は、自分で感じるよりも仏像などの横にある解説を読んで感心する人が多いように思える。
日本人は自分の価値観よりも、識者の評価(よく理解できなくても…)を尊重する傾向があるようだ(図1)。
また、多くの欧米人はクルマ購入の際にはコンシューマーレポートのような品質情報を確認して購入するが、日本人はあまり確認しない(図2)。
それを日本のユーザーに聞くと、「機械に詳しくないので品質情報なんてよく分からないし、また品質の悪いクルマなんてないから」という。
結果、日本人のクルマ選びは漠然とした商品や企業のブランド、さらに平たく言うと「なんとなく」「売れてるから」などが決め手?だ。
軽自動車選びは特にその傾向が強い。それでいて、新車にほんの少しのキズや塗装ムラがあるとクレームになる。新車には完璧さが要求される。
欧米では、どちらかと言うと「機械は壊れる」のが常識で、「壊れたら直せばよい」という感覚だ。また革シートなどにはキズが付いていて当たり前、ついてないと〝人工皮革〟と思われる。それでも人間だから、本質的にはもちろん壊れないクルマや新車時にキズの無いシート等がうれしいのは言うまでもない。北米のユーザーでは一度日本車に乗ると「乗り続ける」と言う人が多いと聞くが、「ユーザーファースト」の日本のモノ造りが喜ばれているのではと思う。
まとめると、日本人ユーザーの購入時の判断は表層的ながら、品質は完璧を求める。これに対し、欧米ユーザーの購入時の判断は本質的で論理的だ。日本車は、ユーザーファーストのモノ造り品質の結果として、特に北米で喜ばれている。
●日本ブランド
どの日本車メーカーのクルマを購入しても、納車される新車にキズや不具合はほとんどない。ユーザーはお店やメーカーを信頼している。しかし、北米ではユーザーの責任でしっかり見極め、自己責任で購入する。そのためか、お店にあるクルマを確認し試乗してそのモノを購入する。
日本人はある意味「温室」にいるようなものだから、余計に「国産品(ブランド)にこだわる」のだ。
それだけに、狙われると弱い。つまり〝詐欺〟に弱い傾向がある。
事実、さまざまな詐欺被害は増えている。
ところでEV(電気自動車)だが、日本には市場がないと言える。これからつくるしかないのだ。先に紹介したように、日本では購入時に性能や見た目に〝言い訳〟のない完璧な商品が必要なのだ(EVには言い訳が多すぎる)。(図3)
●日本の「村社会」
日本人は、コトの本質やエビデンスを追究することよりも、揉めずにやり過ごすことに価値観があるようだ。
なぜか交通事故の原因究明に関しても、ドライバーが「お酒を飲んでいた=違反」と、そこで終わってしまう。ひょっとすると事故原因はお酒とは関係ないかもしれないのだ。原因追究が途中で途切れるのでPDCA(計画・実行・評価・改善)が回らない。となると、同じ間違いや不具合を繰り返すことになる。
実際、他にも事情はあると思うが、日本の交通事故の減衰率は他国に比べて良くない(日本の交通事故減衰率をOECD高所得国と比較すると、2000年→2013年で、日本は45・5%、OECD高所得国は55%)。
日本人は物事の考え方として、本質まで追究して波風が立つような「モノ申す」ことはせず、何事も表層的判断で済ますことが多いようだ。
●日本市場は閉鎖的?
トランプ大統領は「日本は(自動車などを)売りつけるだけで閉鎖的」だと考えているようだ。しかし日本は「アメリカの顧客がどういう商品なら喜びを感じてくれるのか?」ユーザーファーストで、こうしたニーズを本質まで追究し、それを商品に反映。さらにコストダウンと言っても、品質を守りながらコストをいかに下げるのか?など工夫に工夫を重ねて、買ってもらっているだけだ。
元々、多くのアメリカ人はモノ造りに関してそこまでユーザーファーストで考えてないと思う。それよりも事業性が優先しているようだ。ユーザーの喜び=モノ造りの本質を分かっていないのだ。また、現地カーメーカーはアメリカ市場が大きいのでワザワザ輸出までする必要性を感じていない?
国が違うと基本的な価値観も異なり、分かり合うのは難しいが、異なるニーズを把握して輸出先のユーザーの喜びを創造した商品を造り上げるのが、日本がモノ造り大国と言われるゆえんだ。
日本と中国もなかなか分かりあえないことが多い。中国人の友人から聞いたが、学校教育で子どもの頃から愛国主義教育(抗日教育)をしているようだ。日本では、そういうことはしない。これは丸く収めたいだけなのかも知れないが、中国人から見ると日本人はとぼけているようにしか見えないのではないか?
その子どもたちが成人になって一つのテーブルに着くと、分かり合うことは難しい。その時の共通の物差しは「お金」でしかなくなる。中国メーカーは「こんなに安い商品なら売れる」となると思う。事実、日本は今までもクルマ以外の中国製の安い商品を買って使ってきた。しかし、日本人にとってクルマはその絶対価格の高さもあり、アパレルや他の日用品などとは異なり、売価よりも「ブランド価値」の方が大切なのだ。











