追浜工場
村山工場跡地には空き地が目立つ
7月の県の会議体に出席する黒岩知事(左)とエスピノーサ社長(右)

 日産自動車が追浜工場(神奈川県横須賀市)での完成車生産の終了を発表してから15日で2カ月になる。現場では新型車の生産開始に向けた準備が進むが、従業員には先行きへの不安も漂う。一方の地元では、工場跡地の行方や地域経済への影響にも関心が集まる。2001年に閉鎖された村山工場(東京都武蔵村山市)跡地は寂しい状況が続いているからだ。

 追浜工場ではいま、新型SUV「キックス」の生産開始に向けた準備が急ピッチで進んでいる。塗装工場も今年度にリニューアルされ、樹脂や鋼板を問わず一体塗装ができる最新設備が導入された。関係者によると、どちらも品質確保に向けたテストなどの試行錯誤が続いているという。キックスの発売時期は未定だ。

 量産が軌道に乗ったとしても、追浜工場は2年半後に稼働を止め、キックスを含めた生産は日産自動車九州へと移管される。

 現在、生産している小型車「ノート」は工場内に在庫が目立つという。日産の国内販売は苦戦が続いている。

 「(経営に関する)情報伝達も現場が後回しになっている。あと2年半、どうやってモチベーションを保たせるかが問題だ」。ある従業員は複雑な心境を吐露する。

 7月15日、追浜工場の27年度末の生産終了が公表される直前、イヴァン・エスピノーサ社長らは追浜工場を訪れ、状況を説明した。

 「どうやって新型車を立ち上げるのか」「しわ寄せはいつも生産現場に来る」などと、従業員からは厳しい声が社長らに向けられた。

 追浜工場では、かつての村山工場の閉鎖を経験したベテラン従業員も働いている。場合によっては再び厳しい選択に迫られる可能性もある。

 「痛みを伴う判断であり、従業員にはお詫びしたい。複数の選択肢を提示し、一人ひとりにベストな解決策を探したい」。エスピノーサ社長はこう話す。従業員、約2400人全員が福岡県に異動することは難しい。従業員の個別の事情に寄り添った丁寧な対応ができるかが企業として問われている。

 約55万平方㍍の工場跡地の活用も大きな課題だ。

 「村山工場が閉鎖した後、土地が何も使われずに残ってしまった。『われわれも覚悟しなければならないのか』と(日産側に)話をした」

 神奈川県の黒岩祐治知事は日産側も出席した7月の会議の後、報道陣にこう語った。

 村山工場は01年、当時の経営再建計画「リバイバルプラン」で閉鎖された。テストコースを含めた約140万平方㍍の敷地は約75%を宗教法人が取得。「森に戻す」ことを目指す。残る土地に大型商業施設や病院はあるが、20年に公表した市庁舎の移転計画は進んでおらず、市が管理する土地も更地のままだ。

 同市都市整備部の担当者は「大部分を宗教法人が購入したため、そう見えるかもしれないが『跡地利用協議会』もある。(所有者による)土地の利用計画が具体化すれば整備計画を進める」と説明する。30年代には多摩都市モノレールが同市に延伸する計画もあり、市は長期視点で取り組む方針。だが、具体的な工程が見えぬまま、工場閉鎖から20年以上が経過している。

 一方の追浜工場は生産終了後も、隣接する総合研究所や衝突試験場、専用ふ頭などが残る。追浜地区を歩くと、住友重機械工業の拠点や「明治憲法起草地」などの史跡、戦跡に周囲を囲まれていることがわかる。スクラップアンドビルドの再開発は容易ではない。

 追浜駅前でもさまざまな再開発が進む。追浜工場跡地との連携も注目される。

 「われわれとすれば、地域経済と雇用を守っていかなきゃいけない」。神奈川産業振興センターの武井政二理事長(前副知事)は、日産の事情に理解を示しながらも「跡地売却益」以外の視点も重要と話す。県と同センターが中心になり、自治体や金融機関らでつくる「米国関税及び日産生産縮小に関する対策協議会」は、跡地活用に関して日産側へ提案することも検討している。

 1995年閉鎖の座間工場(神奈川県座間市)はどうか。日産の開発拠点(座間事業所)が残り、複数の商業施設ができた。市内を複数の鉄道が走る地理的メリットもあり、ベッドタウンとして成長し、世帯数も増えている。横浜銀行グループの浜銀総合研究所によると、市の税収は95年度の168億円から2023年度は193億円まで増えた。

(中村 俊甫)