自動車整備士として入社した人が、何らかの理由で整備以外の仕事に携わることは珍しくない。営業やサービスフロントだけではなく、管理職や経営者になるケースもある。そうしてステップアップしてきた人は、整備の仕事で培った経験や知識が他の仕事でも生きることを実感することが少なくない。整備士は、未来の可能性を広げる仕事といえるだろう。
日産東京販売ホールディングスのグループ会社であるエヌティオートサービス(NTA、東京都大田区)の有松真一社長は、東京日産(当時)に整備士として入社した。実家が製本工場で、子どもの頃から機械の面白さに触れる機会があったことも大きい。加えて、高校時代に日産自動車整備専門学校(現日産栃木自動車大学校)の先生から「ここに来れば何でもできる」と言われ、進学を決めたことがきっかけだった。
入社後は整備を4年ほど担当してから、営業に配置転換し、約3年間新車販売を行った。その後はサービスフロントに携わったが、整備士と営業の両方を経験したことで、「できない仕事はほとんどなかった」(有松社長)という。
また、ナリヒラ自動車グループのNCモビリティ金町販売(菱沼進一社長、東京都葛飾区)の魚躬(うおのみ)圭一店長も、整備士を募集していた同グループの墨田三菱(同、墨田区)に入社。未経験から整備士の資格を取得した。グループ各社の店舗で整備の経験を積み重ね、今は車両や保険の販売などを担当。さまざまな業務を引き受けられる人材に育った。
2人に共通するのは、入社後に整備以外のさまざまな仕事を経験したことだ。NTAの有松社長は都内有数のディーラーの店長、サービス部長も経験したが、「整備の仕事には、すべての基礎がある」と言い切る。販売促進などの企画の仕事でも「アフターサービスの現場を知っていることが強み」とし、「自動車業界にいる限り、整備の経験は有利だ」と話す。
魚躬店長も「整備の経験が現在の仕事に生きている」と振り返る。車両の細部に触れてきた経験などから、営業では顧客に自信を持って勧められ、トラブルに遭った保険の顧客にも必要な対応をその場で伝えられたからだ。「車を理解していることで、お客さまから信頼され、継続して指名してもらえる」という。
自動車技術総合機構(木村隆秀理事長)の企画部企画課の林良平さんも、その一人。大学卒業後、一度は他の業界で勤めたものの、整備の仕事が諦められずに首都圏のバイクショップに転職した。そこで三級整備士の資格を取得。車検のため、最寄りの自動車検査場に車両を持ち込むうちに検査官の仕事に興味を持ち、当時の自動車検査独立行政法人に入職。関東地区で検査官として業務に当たった。
林さんは、車の周りを1周するだけで複数の疑問点を指摘する検査官を「車を見るスペシャリスト」とし、「整備士とは見る部分が違う」と専門性の高いノウハウを得られた。その後、採用や研究部門に異動したが、整備士としての知識が「強みになっている」と話す。
NTAの有松社長は「自動運転技術がさらに進歩してもメンテナンスは必要で、整備士は常に必要とされる」とみている。林さんは整備士の意識について、「一人ひとりが安全な自動車社会を守っているという自負があれば、(自らの仕事の)見え方が違ってくるのではないか」と、社会的に重要な役割を担っていることを説く重要性を指摘する。
魚躬店長は働きながら整備士資格を取得した経験から、「二種養成施設に通うハードルをもう少し下げられないか」と投げ掛ける。例えば、都内の場合、現在は会場が1カ所のみ。遠方からでは通うだけで時間がかかり、仕事との両立が容易ではないからだ。
慢性的な整備士不足に悩む自動車業界は、さまざまな人に整備の仕事に興味を持ってもらうための取り組みを行っている。林さんは特に、「車やオートバイでしか感じられないことを伝えるのが重要」と車の楽しさを発信していく重要性も訴えている。
月刊「整備戦略」5月号では特集「整備の仕事は無限の可能性」を掲載します。
(2025/4/25修正)