トヨタ学芸・企画1グループの谷中耕平グループ長(右)と軽部真一主任。車両は初代クラウン
フレーム構造やデザインを変え、高級車の地位を確立した2代目(左)、「白いクラウン」の3代目
先進的なデザインを採用した4代目を経てクラウンは成熟期へ
「いつかはクラウン」の7代目(左)と歴代最高販売を記録した8代目
9代目以降はバブル崩壊後の消費低迷やセダン人気低下にも向き合い、進化
エントランスにはトヨペットクラウンRSD型(豪州ラリー仕様レプリカ)などを特別展示

 トヨタ博物館(愛知県長久手市)は、企画展「クラウン70周年記念展~なぜ70年生き続けているのか~」を開催中だ。トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎氏が車名を発案した「クラウン」は、販売開始から70年を迎える国産最長寿の乗用車。日本の暮らしの変化に寄り添い、クラウンらしさの〝継承″と〝革新″を繰り返してきた。このほど新型ステーションワゴン「エステート」も登場し、今なお挑戦を続けるクラウンの歴史を全16代の車両で紹介する。

 クラウンファンで賑わう展示室に入ると、ずらりと並んだ歴代モデルに圧倒される。展示を企画したトヨタ自動車学芸・企画1グループの谷中耕平グループ長は「長年変わらないブランドというイメージがあるかもしれないが、時代とともに変化しつつ、乗り心地や静粛性といった特徴を追求してきた」と話す。同博物館では以前、60周年の記念展を開催したが、今回はよりストーリー性を重視し、歴代のキャッチコピーとともに進化の足跡を振り返る。

 メインの展示ゾーンは大きく3つに分かれ、4代目までを「クラウン創業期」、5~8代目を「成熟期」、9代目からを「変革期」としている。車両に搭載された主な装備も紹介され、中村健也氏が主査を務めた初代モデルが「前輪ダブルウィッシュボーンサスペンション」を採用したことを皮切りに、日本初や世界初となる数々の技術がクラウンに注ぎ込まれてきたことがわかる。

 初期は公用車やタクシーのイメージの強かったクラウンだが、経済成長に伴うマイカー需要を背景に進化を遂げる。「ミスタープリウス」こと内山田竹志エグゼクティブフェローの父、内山田亀男氏が主査を務めた3代目では、白いボディカラーを用意。クラス初となる2ドアハードトップを設定するなどオーナーカーのイメージを確立した。バブル景気に沸く1987年に登場した8代目は、90年にクラウン歴代最高の年販23万台を記録した。

 国産高級車としての地位を確立したクラウンだが、苦戦を強いられたモデルもあった。谷中氏はヒットモデルの次に発売された4代目と9代目に注目。貿易自由化で輸入車に負けないグローバルカーを目指した4代目、日産自動車「シーマ」が人気を博す中、丸みを帯びたデザインに挑戦した9代目は「クラウンらしさに欠ける」との評もあり、販売が伸び悩んだ。谷中氏は「当時の市場環境も背景に、伝統と挑戦のせめぎ合いの結果、攻めたモデルが生まれたのでは」と考察する。

 時代が進むにつれ、ユーザーの高齢化やセダン人気の低迷といった課題も出てきたが、「ゼロクラウン」を掲げた12代目では新型V6エンジンなど主要部品を大幅に刷新。15代目はニュルブルクリンクで走行評価を行うなど、「走りの良いセダン」のイメージを追求した。

 16代目「クロスオーバー」の展示には、ワールドプレミアで豊田章男社長(当時)が語った「日本のクラウン、ここにあり」の言葉が添えられた。既存のボディタイプの枠からも飛び出し、初代以来となる海外輸出にも挑戦しているクラウンの今後から目が離せない。

 開催期間は8月3日まで。

(堀 友香)