1956年秋、「自動車と服装のファッションショー」を東京宝塚劇場で開催。当時、斬新な企画として好評を得て、その後、毎年開催された
1956年秋、「自動車と服装のファッションショー」を東京宝塚劇場で開催。当時、斬新な企画として好評を得て、その後、毎年開催された
1956年秋、「自動車と服装のファッションショー」を東京宝塚劇場で開催。当時、斬新な企画として好評を得て、その後、毎年開催された
1956年秋、「自動車と服装のファッションショー」を東京宝塚劇場で開催。当時、斬新な企画として好評を得て、その後、毎年開催された
1957年6月に発行した「日曜版」。乗用車版、トラック版などを無料で配布した
1959年7月10~13日に開かれた第1回日本アルペンラリーは、東京・神宮外苑絵画館前をスタート地点とした。76年の第18回まで続いた
日本アルペンラリーコース概略図。東京(神宮外苑)を出発し、軽井沢、松本、上高地、下呂、飯田、諏訪、大月、東京の1千㌔㍍を3日間で走破するコースだった
第5回日本アルペンラリー。初代セドリックも参戦していた
1972年9月20~23日、第14回日本アルペンラリーのスタート風景(東京・神宮外苑)
1966年5月、新設の富士スピードウェイで開催された第3回日本グランプリ自動車レースで本紙が特設支局を設け、予選結果や本戦予想を満載した「レース特報」を10円で販売。レース盛り上げに一役買った
1966年5月、新設の富士スピードウェイで開催された第3回日本グランプリ自動車レースで本紙が特設支局を設け、予選結果や本戦予想を満載した「レース特報」を10円で販売。レース盛り上げに一役買った
1960年5月、本紙主催の「第1回外車ショー」が江の島で開かれる。その後、輸入車団体の主催となる

 創刊当時の日刊自動車新聞は、数々のイベントを開催し、自動車産業の振興を図った。中でも先見の明があったと言えるのが、32年に東京・日比谷公園で催した第1回「自動車展覧会」だった。創刊3周年の記念行事として開催したもので、テント張りの設営ながら、日本で初めての自動車専門展覧会となった。

 自動車展覧会は翌年から商工省と陸軍省が後援し、「国防と自動車の知識普及展」を兼ねた開催となり、陸海軍の中枢の来場も多かったという。第1回は外国車が中心の展覧会だったが、警視庁の要請を受けた交通事故防止キャンペーンも実施。ポスター5万枚、ビラ200万枚を当局に寄贈した。

 同展覧会は41年の第10回まで日比谷公園で毎年開催し、戦時中の中断をはさみ48年に再開した。戦後初となった第11回展覧会(48年5月)は、運輸省(現・国土交通省)と協力して開催し、会場はGHQから借りた大手町角の空き地とした。その後は東京駅八重洲口広場や、港区芝田村町の日本石油広場などで行い、52年の第15回では日比谷公園に会場を戻した。53年の第16回は会場面積も3千坪にまで拡大して盛況となったが、翌年から自動車工業4団体に開催権を委譲。「全日本自動車ショウ」(後の東京モーターショー)として開催されるようになり、今日の「ジャパンモビリティショー」につながっている。