VWとのいざこざ

変化のスピードが速い自動車業界でGMという後ろ盾を失ったスズキが、次のパートナーとして目を付けたのが、GMに代わって世界最大の自動車メーカーとなったフォルクスワーゲン(VW)だ。ワンマン経営者と呼ばれ「俺は中小企業のおやじ。生涯現役」と述べていた鈴木氏だが、スズキのトップに居続けることを自ら望んでいたわけではなかった。それまでも後継者を模索していたが、さまざまな事情で実現できなかった。後ろ盾となってくれるパートナーだけでも早めに確保したかったのだろう。

スズキとVWはイコールパートナーとして、VWのスズキへの出資比率は20%未満とし、持分法適用会社とならないことで合意した。しかし、間もなく、スズキはVWがスズキを子会社扱いしたとして反発し、VWもスズキがフィアット(当時)からディーゼルエンジン調達を決めたのは契約違反と主張するなど、両社の関係は提携後間もなく、ほころびが生じた。スズキはVWに提携解消を申し入れ、VWがこれを拒否したため、11年11月に国際仲裁裁判所に提携解消を求めて提訴した。

15年8月に出された判決は、VWに保有するスズキ株式の売却を命じるなど、スズキの訴えが大枠では認められたが、判決までに約4年という貴重な歳月を要したことで、鈴木氏の後継者問題にも影響した。というのも鈴木氏は、提携を決断した責任を痛感し、VWとの問題を解消してから後継者に経営をバトンタッチしようと考えていたからだ。判決が想定していたより大幅に遅れたことに業を煮やした鈴木氏は15年6月、長男で副社長だった鈴木俊宏氏に社長のバトンを渡した。VWとの訴訟の判決は社長交代から2カ月後だった。

会長兼CEOとなった鈴木氏は、16年に発覚した燃費不正問題を受け、CEO職を返上、代表権を持つ会長となった。そして最後の大仕事として残ったのが、スズキが持続的に生き残るためのアライアンス相手探しだった。これが結実したのが16年に合意したトヨタとの業務提携だ。

自動車業界が大きく変化する中、鈴木氏は「スズキは独立した企業として経営していくが、今後、良品廉価なクルマづくりをやっていくだけでは行き詰まるのではないかと危機感を持っている」と話していた。投資規模や技術が限られる中堅のスズキが激動の時代に生き残るには、先進技術を多く持つ大手自動車メーカーとのアライアンスが必要と考えていた。ただ、焦って資本提携し、問題解決までに長い時間を要したVWとの提携に懲りて、トヨタとの提携交渉には時間をかけ、19年に少数ながら株式を互いに持ち合うことで合意した。

経営の独立性を保ちながら、トヨタという後ろ盾も確保し、さらに後継者に据えた鈴木俊宏社長による「チーム経営」に安心したのか、鈴木氏は21年6月の定時株主総会で取締役を退任した。相談役となった後も、表舞台からは姿を消したが、「生涯現役」と言っていただけあって、用事がなければ、ほぼ毎日、スズキの本社に顔を出し、インドのマルチ・スズキにも何度も訪れていた。中小企業の「おやじ」はいつまでもスズキの中にいるようだ。

(編集委員・野元 政宏)