社員らが一丸となって開墾した本社工場は、他社に先駆けて先進設備を整えることで、地域の足の安全を守る
長谷川 利昭代表取締役社長

 「工場を早期に再開するべく、土地の開墾から始めたのは当社ぐらいだろう」と振り返るのは、高田自工(岩手県陸前高田市)の長谷川利昭社長。同社は、2011年3月に発生した東日本大震災で三陸沿岸部の本社工場を津波で根こそぎ失った。

 震災発生からわずか1カ月足らずで、小高い山の中腹に代わりの整備工場を開設するべく動き出した。この際、社員らが一丸となって森林などを2千坪以上も開墾し、11年11月には現在の本社工場である新工場での事業再開にこぎつけた。今も工場の敷地は土地に段差が残る「段々畑工場」の様相を呈し、開墾当時の苦難を思い起こさせる。

 「社員の生活、そして自身を守るために工場開設にいち早く動いた。沿岸部の住民は皆同じ思いで復興を目指した」(長谷川社長)という。

 21年7月には、津波で流失した旧社屋跡地に新車と中古車の販売拠点「シーサイドカープラザ」を開設した。ちょうど震災発生から10年、同社創業60周年の節目であった。約3㌔㍍離れた本社整備工場と車販を中心とする同プラザが連携する体制を整えたことで、販売やサービス、保険をワンストップで提供するトータルカーサービスの展開に本腰を入れている。

 同社が地盤とする陸前高田市は、震災以前より人口が減少傾向にあったが、震災が引き金となってこれがさらに加速。震災前比約2割人口が減少した現状は向かい風だが、安売りをせず、整備品質を高めることで台当たり単価の向上を目指し、売上総利益を維持している。

 震災前と現状を比較すると、車検入庫台数は約25%減少したが、販売拠点新設効果による車販台数の大幅増で、売上高を21年度に震災前水準に回復させた。22年度の売上高は前年度比約50%増を見込む。社員数は減少したが、業績は伸長させている。

 新設した車販拠点では、旧車展示のラインアップを強化したところ、遠方客や若年層を含めて顧客層が拡大したほか、中古車の車検入庫増など、新規客獲得に成功している。

 人口減少に歯止めがかからない陸前高田市は新車ディーラーの空白地帯となっている。県内沿岸部では第1号となる特定整備認証を早々に取得した同社は、アライメントテスター導入など思い切った設備投資にあえて踏み切ることで、他社に先駆けて先進技術に対応する体制を整えている。

 同社の「復興」は、顧客や地元企業、同業者などの多くの支援に助けられた。これは、地域密着で「困った時に助け合える関係性」をすでに同社が構築していた証でもある。引き続き、人との絆を強めていく経営を目指す方針だ。

 〈受賞者コメント〉

 長谷川 利昭代表取締役社長

 被災時は、悔しさと同時に社員の雇用を守りたいとの信念が強かった。今までは、同業他社や異業種企業など多くの知人に助けてもらったので、これからが重要だ。震災後に入社した社員には、例え小さな仕事でも日頃から先を見据えた顧客との付き合い方を意識するように説いている。何とか「復興」までこぎつけたが、今後は地元以外にも商圏を拡大していきたい。

(長谷部 万人)