F1撤退、環境技術に経営資源集中

原因の一つが、八郷社長の前任の伊東孝紳氏が、世界6極で個別に新型車を開発・生産し、世界販売600万台を目指す拡大戦略を掲げたことだ。しかし、想定通りに販売が伸びず、経営効率の悪化を招いた。八郷社長は四輪事業の利益率を向上するため「売れるクルマを効率よく開発・生産する」方針に転換、販売目標600万台の旗も早々に降ろした。

次に手を付けたのが四輪車開発体制の改革だ。研究所で量産車や量産技術を開発し、設計図をホンダ本体に販売するやり方は非効率になっていた。宗一郎氏に憧れてホンダの門をたたいた若手エンジニアなどの反発は覚悟した上で「聖域」に踏み込み、研究所から量産車開発機能を取り除いた。

さらに、ホンダはフォーミュラ・ワン世界選手権(F1)参戦を21年シーズンに終了することも決めた。ホンダは「観衆の目前でしのぎを削るレースこそ、世界一になる道だ」との宗一郎氏のレースに対する熱い思いから積極的にモータースポーツ活動に取り組んできた。真剣勝負の場であるレースが技術力や開発力、人材を育ててくれると信じていたからだ。中でも、四輪車レースの最高峰であるF1には強いこだわりを持ち、業績悪化などによる撤退と再開を返してきた。現在は4回目の参戦で、ようやく昨シーズンからトータル5勝し、これからという矢先に撤退を決めた。

八郷社長がF1撤退の理由として挙げたのが、電動化などの環境技術に経営資源を集中することだ。F1は年間数百億円の経費が必要とされており、これらのコストとエンジニアを将来のパワーユニットやエネルギー関連技術の開発に振り向けなければ生き残れなくなるとの危機感がある。F1を通してエンジン技術を磨くことがホンダのブランド力向上や、事業の成長に結びつかなくなっていることも、業績が危機的状況ではないにも関わらずF1撤退を八郷社長に決断させた。

ホンダは自主独立路線からの転換にも大きく舵を切っている。ダイムラーとクライスラーが合併するなど、90年代後半から2000年代にかけて自動車メーカーの合従連衡が繰り返される中でも、「孤高のホンダ」と呼ばれるほどホンダは他社と距離を置いてきた。それがここにきてゼネラル・モーターズ(GM)に急接近している。

GMとホンダの表立っての提携は、00年にホンダがGM向けにパワートレインを供給したのが最初。その後、GM子会社のオンスターが展開する車載通信サービスを北米のホンダ車とアキュラ車に採用したが、それ以降、両社の関係が深まることはなかった。進展したのは13年だ。両社は燃料電池(FC)システムの共同開発で合意、17年にはFCシステムを生産する合弁会社を米国に設立することを決めた。

さらに翌18年にはGMの子会社でドライバーが無人の自動運転ライドシェアサービス事業の展開を目指すGMクルーズに、ホンダが約7億5000万ドル(約788億円)出資するとともに、ライドシェア専用自動運転車開発での協業も決めた。電気自動車(EV)向けバッテリーコンポ―ネントの共同開発や、20年にはGMが開発したEV2車種を、ホンダがOEM(相手先ブランドによる生産)供給を受けて北米市場に投入することで合意するなど、提携を拡大している。

そして今年9月、両社は北米市場で販売するガソリンエンジンやプラットフォームの共通化を検討することに合意した。これまでのホンダとGMの提携は自動運転や電動化といった高水準の投資が必要な先進的な技術分野に限られていたが、新しい提携事業はエンジンやプラットフォームといったホンダの現在の基幹事業の領域だ。

00年のGMへのエンジン供給で合意した際、一部報道で「ホンダがGM傘下へ」と報じられると「エンジンを販売することが傘下に入ることになるのか?」(ホンダ幹部)と激怒したほど、かつてのホンダは独立意識が強かった。GMと資本提携こそ結んでいないものの、両社の結び付きは強まっている。