今から100年前の1911年7月に、日産自動車の源流に当たる会社が産声を上げた。37歳の技術者だった橋本増治郎が創立した「快進社自働車工場」である。同社は3年後に純国産自動車の第1号を開発した。それが世界的ブランドに成長した「ダットサン」の基となった「ダット号」である。車名の由来は快進社の創立メンバーであった田健治郎、青山禄郎、竹内明太郎の頭文字…