スピード感を求めたホンダと自主性を守ろうとした日産自動車。価値観の違いから生まれた不信感は次第に増幅し、世紀の大統合はついに幻となって消えた。ただ、電動化や知能化を背景とした合従連衡の必然性は変わらない。2社の統合協議の終わりは、IT系など新興企業を交えた業界大再編の始まりだ。
「合意が撤回される可能性も考えたが、それより恐れることは統合が遅々として進まず、より深刻な状況に陥ること」―。2月13日にホンダが開いた社長会見。三部敏宏社長は浮かない顔で統合破談の決定打となった子会社化打診の真意を語った。
遡ること2カ月前の昨年末、ホンダと日産は経営統合協議の開始を発表した。24年夏に電動化や知能化領域での業務提携を決めた両社だが、その協議は難航。両社が経営統合を選択肢に入れ始めた頃、台湾・鴻海精密工業(ホンハイ)が日産の買収に動き始めた。
急いだホンダは統合計画を具体化した。ただ、業績が低迷する日産との統合に社内の反対意見も多い。最終契約の締結予定は25年6月だが、「日産の経営再建の状況を踏まえ、1月末をめどに方向性を示す」と日産に追加条件を突きつけた。
しかし、日産の再建計画はホンダが思うようなスピードで進まなかった。「統合の実現には痛みを伴う判断をスピーディーかつ果断に実施する必要がある」(三部社長)。日産の経営再建だけではなく、持ち株会社が新たな経営危機に直面した時、当初の体制で迅速に対応できるのか。1月中旬、三部社長は内田社長に子会社化による「ワンガバナンス体制」を打診した。
会見直前で1月末の期限を課せられ、不振感を抱き始めていた日産の役員にとってホンダの提案は統合破談を決めるのに十分すぎるものだった。2月5日の取締役会で統合協議を打ち切る方針を賛成多数で可決。翌6日に東京都港区のホンダ本社で内田社長が三部社長に方針を伝え、統合協議が幕を閉じた。2社の統合を条件としていた三菱自動車の参画検討も自然消滅した。
統合破談の報道は世間に「業績が低迷している会社がどの立場で言っているのか」と日産側にネガティブに受け止められた。ある金融関係者も「『ホンダが主導権を握る持ち株会社』と『子会社』の違いが分からない。冷静に考えれば大差はないはずだ」という。
だが、日産の判断にもプライドの一言で片づけられない合理性があった。「どちらかが相手を見下した時点で協業はうまくいかない」。日産幹部は長年にわたるルノーと三菱自との協業の経験からこう話す。資本の論理は絶対だが、それでも3社では互いの強みと弱みを明確にし、技術や商品の相互補完関係を構築してきた。13日の会見で内田社長は「協議入りの時点でホンダがリードすることは認識していた。経営統合会社が本当に強くなるのか、正直悩んだ」と明かした。
もっとも、ホンダと日産の関係が立ち消えになった訳ではない。三菱自を交えた3社での協業のあり方を今後議論する方針だ。ただ、「想定していたものより、シナジーは小さくなる」(三部社長)。
協業や統合協議にもたつく間も世界では新興勢の存在感が高まっている。24年の世界販売では中国・比亜迪(BYD)がついにホンダと日産を抜いた。電動化や知能化時代の競争力をいかに確保するか。「プランBやプランCも持っている」(三部社長)、「新たなパートナーシップを積極的に模索する」(内田社長)とする両社首脳が描く未来を探る。