社長交代を発表する鈴木俊宏氏と鈴木修氏(2015年6月)

 スズキの経営を長年にわたって主導し、カリスマ経営者と呼ばれた鈴木修氏が昨年12月に死去してから初めてとなる中期経営計画が公表された。経営の柱であるインド事業に集中投資しつつ、先行きの不透明感からリスク分散にも目配りした内容だ。激動の自動車業界を集団指導体制で乗り切っていけるか、世界でもユニークな自動車メーカーの今後が注目される。

 「2021年6月に私中心の集団指導体制となってから〝チームスズキ〟としての意識は広がってきた。コミュニケーションをとって、何が問題なのか、何をやらないといけないかを横断的に議論できるようになってきた」。鈴木俊宏社長は20日の会見でこう語った。

 俊宏社長が修氏の後継者として社長兼最高執行責任者(COO)に就任したのは15年6月のこと。翌年には最高経営責任者(CEO)も兼務し、俊宏社長を中心に、生産、研究開発、販売、インド事業などの担当役員による集団指導体制への移行を目指した。しかし「厳しい指導があり、思うように経営できなかった」(俊宏社長)という。会長として君臨していた修氏のトップダウンによる経営判断が衰えることはなかった。

 その後、21年6月の定時株主総会で、修氏が会長を退任して相談役に退く。ここから俊宏社長が掲げる「チームスズキ」への移行が本格化する。修氏は相談役として出社はしたが、経営に口を出すことはめっきり減ったという。

 今回、策定した「バイ・ユア・サイド スズキ新中期経営計画」は、同社が集団指導体制下で成長するための計画となる。

 その内容は大胆さと慎重さが共存する。従来の中期経営計画は5年間だったが、今回は30年度までの6年間とした。「長期的な視点に立って投資計画を策定する必要がある」(スズキ幹部)ためだ。計画期間中、設備投資に2兆円、研究開発費に2兆円を投じるものの、30年度に売上高営業利益率を10%とし、投資を拡大しながら収益確保に挑む。以前のスズキなら収益を前提に投資額を決めていた。23年度に316万台だった四輪販売を30年度に420万台にまで伸ばす目標も掲げた。

 リスクにも配慮した。インドでは生産能力を年400万台に増やす計画だが、内需だけに頼らず、欧州やアフリカ、中東などの輸出拠点として活用する。インド市場は拡大しているものの、現代自動車やタタ自動車など、ライバルも攻勢を強めている。エントリーモデルを加えるなどして乗用車シェア50%への復帰を狙うが、想定通り販売が伸びないリスクも考慮し、輸出事業という〝保険〟を掛ける。

 リスクヘッジは四輪事業だけではない。スズキは二輪とマリン事業も手掛ける。特に二輪事業は長年にわたって営業赤字が続いてきたが、インドでの成功などで黒字が定着してきた。新計画では、二輪事業の営業利益を前期の390億円から30年度には500億円へ3割増やす。これら〝インド四輪一本足打法〟を避ける計画は、社内のさまざまな階層でコミュニケーションが活性化することによってまとまったという。

 一方で、インド製の「ジムニーノマド」を日本で売り出した直後に受注を一時止める失態も演じた。月販目標(1200台)の3年半分となる5万台の受注が殺到したからだ。同社の関係者は「国内営業本部の見通しが甘かった」と苦渋の表情。「修氏の〝カン(勘)ピューター〟だったらこうした事態は防げた」との指摘もある。

 集団指導体制として、自分たちの手で新しい成長戦略を策定したチームスズキ。しかし、電動化や知能化が急速に進み、スズキが得意としてきた地域や価格帯には中国勢の影もチラつく。大手ですら「個社で戦うのは非常に厳しい」(ホンダの三部敏宏社長)という自動車業界。俊宏社長は修氏について「良い教師であり、反面教師でもあるかなと思う。継ぐところは継がないといけないし、捨てるべきところは捨てたい」と語った。スズキはカリスマ亡き後の正念場を迎える。

(編集委員・野元 政宏)