「デジタルをコアに、トランスフォーム(変革)を続ける」と抱負を語った。
日立の創業地、茨城県日立市出身で、父親も日立勤務。同級生の親のどちらかの9割が日立関係に勤める環境で、「家は社宅で、バスや買い物なども日立グループにお世話になって育った」と振り返る。
就職も日立で迷わなかった。父からは自分と同じ重電畑を勧められると思いきや、「これからはIT」と助言された。それに後押しされるように、主にIT・デジタル部門を歩み、「デジタルの申し子」(小島啓二社長)として頭角を現した。
印象深い仕事は、銀行再編が相次ぐ当時のシステム統合作業。自社システムが別会社のものに代わる作業で、結果的に顧客は減るが、部下たちとともに、経済・社会を支えるインフラの仕事として、士気を高めるよう努めた。
早くから幹部候補の一人として、難易度の高い仕事を任される場面が多かった。2021年に約1兆円を投じて実現した米グローバルロジックの買収は「ビジネスマンとしての覚悟を醸成してくれた」という。米エヌビディアのジェンスン・フアンCEOと腹を割って話し連携を実現させるなど、「世界の経営者と堂々と渡り合える」との評価も定着。次のトップが有力視されていた。次期中期経営計画も中心となってまとめ、インフラや家電などグループ全般に精通する機会となった。
一時の低迷期を脱し、デジタルを基軸に成長する日立。小島社長は業績を大きく向上させた。そのバトンを受け継ぐだけに「プレッシャーは大きい」としつつ、「従業員一人ひとりが、自分のOS(基本ソフト)を変えるくらいの意気込みで」と展望する。
〈プロフィル〉とくなが・としあき 1990年東大工卒、日立製作所入社。主にIT畑を歩み、エネルギーや鉄道領域での社会イノベーション事業創生や、家電・空調事業の責任者などを歴任。2021年副社長。1967年生まれ、茨城県出身。
(山本 晃一)