初代「ポロ」
アウディ「50」
初代ポロの内装
アウディ「50」の透視図
VWヴォルフスブルク工場、ポロの生産風景
アウディ「50」のプロトタイプ
デザイナーのハルトムート・ヴァルクス氏

 小型車の新しい潮流を生み出した独フォルクスワーゲン(VW)のハッチバック車「ポロ」が2025年、デビュー50周年を迎えた。これまでに世界累計販売が2千万台を超えるヒット車になったが、その礎はポロのデビュー1年前となる1974年に、現在のアウディの前身となった自動車メーカー、アウディNSUアウトウニオンが市場に送り出したアウディ「50」にあった。 同社は第2次世界大戦後、ダイムラー・ベンツ・グループを経て64年からVW傘下に入った。そして上級車の「80」「100」に続くモデルとして、70年代初頭に50のデザインに着手した。当時、欧州小型車市場で主流だったフランス車やイタリア車に対抗するモデルづくりが狙いにあった。

 こうした中、「ビートル」の後継車となるエントリーモデルを検討していたVWは、開発中だったアウディの小型車に白羽の矢を立て、自社ブランドでも発売することを決断した。

 50のデザインを担当したハルトムート・ヴァルクス氏は2017年、海外メディアの取材に対し「当初は(双子車をつくる)計画はまったくなかった。〝VW版〟も企画されていることを知らされない中で開発がスタートした」と明かした。そしてポロはVWのエントリーモデルとしての役割を高めるため、8千㍆を超える50の仕様・装備を見直し、価格を約700㍆引き下げる目標が掲げられた。

 両モデルの特徴は、全長3・5㍍を切るコンパクトな車体ながら、大人4人が乗車可能で荷室も持つ車体を実現したこと。エンジン排気量は50が1・1㍑で、最高出力が50馬力と60馬力の2タイプが設定された。これに対し、ポロのエンジンは排気量が0・9㍑で最高出力は40馬力にとどまった。コスト低減の代表的な事例と言える。

 外観上の差異は、「ルーフ側面の丸みを帯びた部分」(ヴァルクス氏)くらいで、エンブレムなどを除けばほとんど違いはなかった。ポロのデザインには、実物大のクレーモデルが仕上がった頃からイタリアのカロッツェリア、ベルトーネが関与。そのアイデアのいくつかは、量産モデルの細部に取り入れられた。

 1970年代初頭には、こうしたコンパクト車のヒットは誰も予想していなかった。しかし、73年の「石油危機(オイルショック)」を機に、燃費と経済性に優れるモデルに対するニーズが高まった。その追い風を受けて、ポロは順調に販売を伸ばした。

 ただ、価格的な競争力だけではなく「美しいプロポーションと明快なラインを持つデザインが説明不要な魅力を生み出した」(ヴァルクス氏)ことも、ヒットを支える重要なポイントになったと分析する。

 生産は両モデルともにVWの独ヴォルフスブルク工場が担当した。50は78年のモデル終了までに累計18万828台が生産された。これに対し初代ポロは75年から81年まで、改良型を含み累計110万台が送り出された。

 商業的な成功こそポロに劣るものの、50はクルマづくりの転換点の一つとなった歴史的なモデルと言える。さらにその素性を見抜き、ヒット車に仕上げたVWには、自社開発にこだわらない合理的な経営方針と当時の勢いが垣間見られる。