家屋は倒壊し、道路は隆起・陥没した(珠洲市内)
崩れた建物が車に覆いかぶさるケースも多くあった(珠洲市内)
崩落は免れても室内のダメージは大きい(珠洲市内)
金沢市近郊の内灘町などでも甚大な被害が出た

 穏やかな正月休みだった。冬場の北陸地方にあって天候は晴れ。平野部では12月の寒波の残雪が消え、スポーツやレジャーを楽しむ計画を立てていた人も多かっただろう。1日午後4時過ぎ、石川県内で最大震度7を観測する能登半島地震が発生し、穏やかな空気は一瞬にして暗転した。

 北陸信越運輸局の猿谷克幸石川運輸支局長は、震源地に近い、能登半島先端に位置する珠洲市の出身。帰省中に地震の直撃を受けた。珠洲市は木造で瓦屋根の建物が並ぶ、一言で表現すれば地方の港町だ。津波が押し寄せた辺り一帯は、海水やオイルなどが混ざった異様な匂いが立ち込めていたという。

 猿谷支局長は家族とともに避難所に向かった。しかし、避難者が集中して大半の人が横になれず、座って過ごしている状況を目の当たりにし、自宅へ引き返した。「被害が少なかった車庫に居住スペースを仮設し、暖を取った。ガソリンを極力減らしたくなかったので、車中で過ごすのをできる限り控えた」と振り返る。

 年末年始だったため、猿谷支局長のように普段は能登を離れている人たちが実家に戻り、高齢者をサポートしたり、避難を主導するなどしたケースがある。一方で、帰省中に犠牲になった人たちもいる。

 記者は石川県金沢市で生まれ育った。都会で働くようになり、能登の自然の美しさを改めて知った。海はいつも違う表情を見せ、心境によっては涙が出るほど胸に染み入る。仕事仲間から「石川や金沢は地方の中でも少し雰囲気が違うね」と言われることがある。リップサービスと思いつつ、心の中では頷いていたりもする。それぞれの価値観を「ほんとや、いろんな人がおるね」と認め、人の気持ちを大事にする。そういう石川・金沢を記者は誇らしく思う。一日も早い復興を願わずにはいられない。

 石川県によると、6日までに確認された死者は100人を超え、安否不明者は211人。倒壊した家屋の下敷きになった人もまだ多数いるとみられ、被害の全容が判明するのはまだ先になりそうだ。余震が続き、土砂崩れなど二次災害の恐れもある中、懸命の救助作業が続く。

 経済産業省によると、北陸に主要な生産拠点を持つ企業など約200社のうち、8割超で生産再開のめどが立ったという。ただ、停電や物流の混乱もあり、自動車を含めたサプライチェーン(供給網)にどの程度の影響が出るかは見通せない。トヨタ自動車など各社は、仕入れ先の被災状況の把握を急ぎ、工場稼働への影響を見極めている。

(中部支社・吉田 裕信)