木村隆之氏(きむら・たかゆき)
オペルの再参入などその手腕に注目が集まる

グループPSAジャパンとグループPSAジャパン販売の新たな代表取締役社長に、木村隆之氏が1月1日付で就いた。木村氏は、2014年からボルボ・カー・ジャパンの代表取締役に就任し、20年3月から12月まで同社顧問を務めていた人物。ブランドイメージが曖昧で過剰在庫を抱えるなど危機的状況だったボルボを、緻密に練り上げたブランド戦略と強力な実行力でV字回復に導いた。「プジョー」「シトロエン」「DSオートモビル」に加えて、今年後半には「オペル」の日本市場再参入を予定するグループPSAジャパン。成熟市場の日本で、いかにして各ブランドの躍進を実現するのか。木村氏の経営手腕に注目が集まる。

木村氏が自動車業界でのキャリアをスタートさせたのは、トヨタ自動車。同社在籍期間の約20年のうち、16年は欧州など海外営業部門で過ごした。約5年間のベルギー駐在時代に、本人曰く「数えきれないほど嗜んだ」というワインへの造詣は深く、日本ソムリエ協会が認定する「ワインエキスパート」の資格を持つ。ボルボ・カー・ジャパンの社長時代には、懇親会などで来場者らに振る舞うワインを自らセレクトするほどだった。

2007年にファーストリテイリングに入社し、営業支援統括部長に就任した。ただ、「人生で一度は経営者をやってみたい」との思いが強く、その実現のため08年に日産自動車に入社し、インドネシア日産で念願の社長就任を果たす。その後、アジア・パシフィック日産兼タイ日産の社長を歴任し、14年にボルボ・カー・ジャパンの社長に就任した。帝人ボルボ以来28年ぶり、ボルボ資本となってからは初の日本人トップだった。

木村氏が社長就任時、ボルボの年間新車販売台数は1万3000台規模だったが、19年には1万8564台と5年連続で前年超えを果たした。成長を支えた最大の要因には、ボルボ・カーズによるSUVラインアップを中心とした新世代モデルの相次ぐ投入が挙げられるが、木村氏がトヨタ、ユニクロ、日産で培った知見や経験をもとにしたブランド戦略の奏功も大きい。

14年4月以降、消費税増税の反動減や新車効果の減退の二重苦にあえいでいたボルボだが、木村氏は社長就任から半年経過した際に、日刊自動車新聞のインタビューで「販売台数、ブランドイメージ、収益確保のバランスが大事だと再認識した。達成するには近道も早道もない」と話した。その上で「ブランドビジネスはオーナーとのつながりが一番重要」と指摘。いかにして顧客との接触機会を増やし、顧客とのつながりを深化させていくか。ここにこだわった。

取り組みは多岐に渡る。ベーシックモデルから最上級モデルまで、10項目以上の安全装備を標準装備とし、ボルボにしかない安全性をアピール。15年には、独自特約を付帯した個人向けリース「SMAVO(スマボ)」を開始した。5年契約を基本に、3年目以降に新車への乗り替えを可能としたもので、当時は輸入車ディーラーで初の試みだった。

また、通常インポーターでは、高価格帯の新型車はマス告知を行わないケースが多いが、ボルボはテレビCMを中心に広告を積極的に展開。17年には、東京・青山に世界で2拠点目となるボルボ・カーズのブランドコンセプトストア「ボルボスタジオ青山」を開設した。ボルボブランドを知ってもらうことを主眼に置き、内外装はディーラーとは別にして、スウェーデン王室御用達のシャンパンを提供するなど、毎週さまざまなイベントを開催している。

15年には、顧客満足(CS)を輸入車プレミアムブランドでナンバー1へ高めることを狙いに、販売店のセールススタッフなどが参加して商談スキルを競い合う「ボルボ・エクセレント・セールスパーソンズ・コンテスト(VESC)」を7年ぶりに復活させた。リーマンショック後に中断したVESCだが、販売店の士気を高めながらCSを高める効果があると判断した。自動車販売とは異なる視点で顧客応対を磨くこともCS向上につながるとし、人材研修に異業種から講師を招く工夫も取り入れた。こうした取り組みはトヨタ時代のレクサス国内営業部で人材・開発/CS責任者を務めた経験からだ。

日本市場におけるボルボのプレゼンス向上を見事に果たした木村氏。「国内はすでに成熟市場。量より質を求める事が重要だ。闇雲に台数を追うことで『膨張』するのではなく、ブランドイメージを高めることで『成長』しなければならない」との持論を示す。新たなステージとなるプジョー、シトロエン、DSオートモビル、オペルの各ブランドを、言葉通りにいかにして『成長』させるのか。コロナ禍で停滞した輸入車市場を活気づけてくれるとの期待も込めて、今後のグループPSAジャパンの取り組みに注目したい。