戦前、国産自動車製造の黎明期を前に東京や大阪などの街を席巻していたのはフォードとビュイックだった。1931年の両車の保有台数は3万2千台と3万1千台。500台余りの国産車を含めた総保有台数は9万台だったから2モデルで70%を占めていたことになる◆ビュイックの普及には梁瀬長太郎率いる梁瀬商会が活躍したが、一方のフォードは柳田諒三とエンパイヤ自動車商…
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戦前、国産自動車製造の黎明期を前に東京や大阪などの街を席巻していたのはフォードとビュイックだった。1931年の両車の保有台数は3万2千台と3万1千台。500台余りの国産車を含めた総保有台数は9万台だったから2モデルで70%を占めていたことになる◆ビュイックの普及には梁瀬長太郎率いる梁瀬商会が活躍したが、一方のフォードは柳田諒三とエンパイヤ自動車商…
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