昭和20年代後半から、事業は急速に拡大した。三輪トラック生産に新規参入が相次いだが、東洋工業はそのなかでトップに立っていた。とくに箱根あたりまでの、いわゆる日本の西半分の地域は強かった。今思えば“努力2分”で、極端にいえば販売会社として何もしなくても売れる時代だった。この流れに沿って、当社の業容も大きく拡大する。昭和27年にそれまでの有限会社から…