昭和36年1月、5つ違いの妻と結婚した。神戸大の先輩でもある神戸新聞の田中寛治社長に仲人をお願いし、神戸オリエンタルホテルの旧館で披露宴を催した。自分でいうのも変な話だが、粋な披露宴になった。というのも、父が懇意にしていた花隈の芸子を招いて踊らせたりしたからだ。新居は垂水の実家近くにあった建売住宅で、平屋建ての1戸建てだった。当時のサラリーマンは…