4、ステイタス・シンボル論よく「わが国黎明期の自動車は外国人や財閥など有産階級のステイタス・シンボルであった」と書く人がいるが、これは東京だけを見た場合であって、全国的にみれば、わが国自動車の夜明けは関西地方の乗合自動車から始まっているのである。東京府統計書をみても東京の自動車は明治39年に日本橋区に1台、翌40年に日本橋区に2台と赤坂区に4台の…