戦後のリアエンジンバスは、「とし」が乗務していた旧ボンネットバスと比較して2倍以上の大きさ/いすゞが製造した「スミダ(当時の社名は石川島自動車製作所)」(左)と「BC151型」(右)。〈いすゞ自動車提供〉

「一般の人々にとって最も身近なのが…」―。この言葉で、いすゞ自動車はバスを説明していた。戦後の復興期を経て、バス事業は急速な発展を遂げ、それに合わせて車両も多様化する。日本の自動車はバスから庶民の乗り物になったといえる。冒頭の言葉は『いすゞ自動車80年史』にある。同社は戦前の乗合自動車と呼ばれた時代から国産バスを製造している。戦後はバス事業の進展…