第1回ラリージャパンで優勝したペター・ソルベルグのインプレッサ

 WRCが日本に帰ってきた。世界ラリー選手権(WRC)第13戦「フォーラムエイト・ラリージャパン2022」が10日、愛知県と岐阜県を舞台に開幕した。世界のトップラリーストによる熱戦が再び日本で繰り広げられる。12年ぶりのラリージャパン開催を機に、日本のビッグラリーの軌跡を辿ってみたい。

 過去のラリージャパンは、2004から10年(09年未開催)に北海道で開催された。第1回大会を制したのは「スバルインプレッサWRC2004」を駆るペター・ソルベルグ選手だった。

 04~07年は帯広を中心とした十勝地方、08年と10年は札幌圏に開催地を移し、「札幌ドーム」でのスーパースペシャルステージが話題となった。北海道開催のラリージャパンはグラベル(未舗装路)で、今年の大会はターマック(舗装路)とコースに違いこそあるものの、日本のラリーの歴史にまた新たな1ページが加わる。

 日本の4輪ラリーは、1958年に読売新聞社が開いた「日本一周読売ラリー」が最初だが、この大会は一度だけで終わった。翌年からは日刊自動車新聞社が、事業部門の日本モータリストクラブ(JMC)として76年まで日本全国で初心者から上級者向けまで多様なレベルのラリー大会を展開した。その最高峰と位置付けられていたのが「日本アルペンラリー」であり、JMC主催で18回開かれ、ハードな戦いを通じて日本車と国産自動車部品の性能や品質の向上にもつながった。

 2001年5月に開かれた日本初の国際格式ラリーで日本アルペンラリーの名が復活。「第19回スパイク・インターナショナル 日本アルペンラリー」が群馬県で開催された。そして同年10月に国内2番目の国際ラリー「インターナショナルラリーイン北海道」が十勝地方で開かれ、02年にはアジアパシフィックラリー選手権(APRC)「ラリー北海道」に移行した。ラリー北海道の開催実績が評価され、長らく日本では開催できないと思われていたWRC日本開催が、04年に実現した。

 近年、北海道内ディーラーの若手整備士を取材していると、子どものころに見たラリージャパンでクルマのメカに興味を持ち、整備士を目指したという人に何人も出会った。サーキットで行うレースとは違い、公道を競技車両が移動するラリーは、地域のさまざまな人々に存在を強く印象付ける。今年のラリージャパンでも、地域のモータースポーツ文化を育み、未来の自動車業界人を生み出す効果を期待したいところだ。

(沼田 利一)