「1999~2000年は日野が大変厳しい頃だった。厳しい環境の中で私が手掛けていた北米専用車は、グローバルなトラックメーカーになるには米国で成功しなければならないという、日野プロパー最後の経営陣の思いで取り組んだプロジェクトでもある」「今年は日野の創立75周年の年でもある。そうした過去の先輩が築いたブランドを私が社長をやらせていただている間にさら…