播磨赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が高家旗本の吉良上野介義央に江戸城・松の廊下で刃傷に及んだのは、元禄14年3月14日。殿中抜刀によって浅野内匠頭は切腹、赤穂藩は改易となった。後に人形浄瑠璃や歌舞伎が上演され、「忠臣蔵」として庶民に親しまれるようになった元禄赤穂事件の一節だ。それから270年経ったこの日、バス車内で講談師が「殿中デスゾ、オヒカエメサレー…