ホンダが24年ぶりに「プレリュード」を復活した。歴代モデルはスポーティーな外観ながら、実用性も兼ね備えた「スペシャルティーカー」として進化を続けた。若年層にも手が届きやすい価格帯としていたのも特徴で、特に、1980年代の2、3代目は〝デートカー〟とも呼ばれ、当時の若者にとって憧れの一台でもあった。復活した新型も2ドアでスペシャルティーカーという個性を維持しつつも、同社が掲げる電動化戦略を先導する「ハイブリッドスポーツカー」に位置付けた。時代に合わせたコンセプト変更で、往年のファンのほか、新たな顧客層の開拓を狙っている。
プレリュードは、1978年の初代から2001年に生産を終了した5代目までで計48万7520台を販売した。主に若い世代から支持を集めたのは、価格面だけではなく、ユーザーの目を引く新技術が盛り込まれ続けたことも大きい。この中には、若年層を意識した装備も少なくなかった。
例えば、初代は国産車としては初めて電動式サンルーフを採用。速度計と回転計を同軸上に配置した「集中ターゲットメーター」も、新たなトレンドに敏感な若者の関心を集めた。2代目(1982年発売)と3代目(87年発売)は、車体内部に格納できるリトラクタブル式の前照灯が外観の大きな特徴となっており、格好良さを求めるユーザーに響いた。
ホンダらしい〝走り〟の追求でも、先進的な役割を担ってきた。2代目では「アンチロックブレーキ(ALB)」として、日本初のABSを搭載。滑りやすい路面での制動能力を高めた。3代目には四輪操舵システム(4WS)を採用した。ステアリングの舵角に応じて後輪を同じ方向か、逆に操舵するのは世界初だったとしている。技術やデザインでのさまざまな新しいアプローチを行ったことで、競合モデルが数多くある中でも一定の支持を集めた。
しかし、91年に発売した4代目で、流れが変わり始めた。ホンダは独自の可変バルブタイミング機構「VTEC」を組み込んだ新開発の排気量2.2㍑のエンジンで、高出力化を実現。3代目までのデートカーから、スポーツカーへの転換を試みた。当時、日本で人気だったフォーミュラワン(F1)レーサーの故アイルトン・セナ選手をCMに起用するなど力が入っていた。
ただ、当時はバブル経済の崩壊直後で、新車市場の低迷が始まった時期と重なった。車体がサイズアップし、排気量が拡大したこともあり、税金などの維持コストが膨らんだことが響き、販売台数が3代目に比べて半減した。当時のユーザーからも「大きさや価格、性能のバランスを欠いた中途半端さ」と指摘されていた。96年に発売した5代目も、SUVやミニバン人気に押され、そもそも国内市場でスペシャルティーカーの需要が減少。4代目に比べて販売が8割も落ち込み、2001年に「インテグラ」と統合する形で、歴史にいったん幕を下ろした。
復活した6代目は、当時のプレリュードファンをターゲットの中心に据える。ファンが期待しているスペシャルティーカーとしての要素も盛り込みながら、今回は同社独自のハイブリッド機構で環境と走りの良さを両立する先進的なスポーツカーとしてアピールしていく。
しかし、価格は617万9800円(消費税込み)。燃料電池車(FCV)を除くとホンダの国内ラインアップの中で最も高い。月販計画も300台と控えめだ。歴代モデルの特徴だった手の届きやすさは事実上なくなった中で、かつてのような販売戦略は描けない。ハイブリッドスポーツカーというジャンルを開拓し、新たなブランド価値を高められるか。新生プレリュードの実力が問われている。
(藤原 稔里)