図─1 擦り傷
図─2 狭い車庫
図─3 ギリギリ
図─4 縦列駐車
図─5 パニックのドライバー
図─6 ぼーっとしているドライバー

 ●運転だけは自信があった

 先日、自分のクルマで車庫入れ時に後ろを擦ってしまった(ちなみに、私は72歳)。

 ウチの車庫は、狭い土地の中に家と車庫を造っているので、車庫も狭い。よって、ピーピーという警告音が鳴りっぱなしというか、ピーっとなってからが「勝負」というくらいギリ。

 私のクルマの全長・全幅は4755×1820㍉㍍だが、以前はもっとデカいクルマも入れてきた。つまり、狭い車庫でも楽に出し入れしていた。

 昔は自動車開発の仕事をしていて運転の訓練も受けていたし、運転には自信があった。その頃、イタリアのベローナにある現地法人をベースにして「イタリアンの走り方」を研究したことがあった。

 被験者はMT(手動変速機)車で先の信号が赤になると、ギアを5→4→3→2と当時のF1ドライバー並みにシフトダウンした。「何で、いちいちシフトダウンなんて面倒な事するの?ブレーキ踏むだけで良いでしょ?」と聞くと、その答えが「前の信号が青に変わった時、すぐに加速できるように、モタモタしていたら追い越される」。だからAT(自動変速機)はダメらしい。イタリアから多数のF1ドライバーが出るのもわかる気がした。

 また、混んでいる道も狭い道のすれ違いもスイスイ。イタリアンの運転は上手で、しかも楽しんでいた。運転を〝ダメ〟という言葉で注意され続ける日本とは異なった。

 そんな調査が一段落した時に、現地従業員から縦列駐車のタイム競争をしようと提案された。「開発責任者ならきっと運転は上手いんでしょ!」と皮肉っぽく言われたが、結果は私が勝ったので現地従業員たちはシラケた。私は大人げなかった。そんなこともあり、特に車庫入れなどの運転には自信があった。

 ●自信喪失

 なのに、先日は後ろを擦ってしまったのだ。しかも狭いとはいえ慣れ親しんだ自宅のガレージだ。その時は他のクルマが通りかかりそれを避けたので普段と異なる位置からの車庫入れになっていたのだが、よく考えると毎日出し入れするので、緊張感もなく、つまりボケーっとしていたのだ…。

 後ろで「ガリガリ」といった。家の外壁に接触したのだ。そんなこと、想像もしてなかったので、ビックリした。降りて確認すると、バンパーとボディのつなぎ目の表面が擦れていた。板金塗装が必要なレベルだ。

 思い出すと2年ほど前にも「不注意」はあった。その時は、狭い住宅街の道路を徐行していた。前を老夫婦が仲良く手をつないで歩いていた。

「微笑ましいなぁ」と思った瞬間に「バキッ」。左側のミラーを電柱にぶつけたのだ。

この時も「何で?」というのが最初に感じた事だ。

 また、大きなスーパーの駐車場でバックカメラが付いているのに見ないで、後ろを「コツン」とやった事も思い出した。これでは、もう「私の運転も怪しい」と自覚せざるを得ない。

 これらは、ボケーっとした不注意が原因だ。一方で、高齢者の事故のニュースを見ていると、パニクって暴走する事故も多いようだ。この場合は、訓練で運転スキルを身につけると心に余裕ができ、パニックには陥りにくくなるハズ。高齢者には、ぜひ運転スキルを上げて、イタリアン並みに運転を楽しんで欲しい。それが、高齢者の事故防止につながるのだ。

 ●不注意、ミス

 今まではたいして気にもとめずに「単なる不注意、ミス」として済ましていた事柄が、運転だけではなく普段の生活でも多くなっている。「あれ~っ?」という感じが。

 物忘れは元々若い時から多かったが(ボケーっと生きてきた?)、今では物忘れというよりも覚えられない(笑)。当然まだまだ認知症ではないし、こうやってつたないながら原稿も書けている。

 しかし、60代前半の時、不整脈があったので専門医にかかったら「大丈夫、加齢のせいです」と言われた。大丈夫? そう言えば、突き指しても直りが遅いので専門医に行くと「加齢で治りが遅い場合があります」。髪の毛が細くなったと美容院で訴えると「どうしても加齢とともに…」。「加齢」を指摘されることが多くなっていた。

 不注意やミスが多いのは、確実に「加齢のせい」なのだ。奥さんに言うと「今後のご飯はカレーにしよう」とオヤジギャグ。冗談でなく、これはマジにならないとダメと自覚した。

 ●加齢を考える

 どうマジになるのか?まず、昔は速度違反で何回も警察のお世話になっていたが、スピードを落として、車間距離をとって…に変えた。しかし、スピードを落とすと警察車両に注意することも無くなり、周囲の交通への緊張感も無くなり、運転中に「あれ?今の信号青だったか?」。つまり、「ボーっ」としてしまう事が多くなった。

 そこで、考えたのが「燃費運転」。今のクルマはだいたい燃費計が付いていて簡単に計れる。アクセル・ブレーキはできるだけ踏まない。ハンドルはゆっくりと切る。フューエルカットを出来るだけ使う。(HEVの場合は回生もしてくれる)。高速道路でも一定速度で走るのではなく、できるだけフューエルカットを使う(この説明はチト難しい)。エンジンオイルは少な目…などおススメできない技も使う。燃費運転にさまざまな気を使いまくるのだ。

 東京と湘南をよく行き来するが、往路の燃費は良いが復路の燃費は必ず悪い。東京の家がちょっとした〝山〟にあるからだ。だいたい往路は14~㌔㍍/㍑、帰路は12~㌔㍍/㍑となる。(古いクルマなので、今の燃費レベルよりかなり悪い)。

 先日、旅行に行ってトヨタ「ヤリス」のレンタカーで120㌔㍍ほど走ったが、返却するまで燃料計は動かなかった。満タンにせずにこのまま返却してもわからないと思ったほどだ。

 とは言っても満タンにしたが4・6㍑しか入らなかった。燃費は26㌔㍍/㍑。さらに、私の運転はウチの奥さんより10%以上燃費がいい。燃費走行はやってみると、その効果が正直な数値で出るので面白く、意外と緊張感をもってボーっとすることなく楽しく走れる。

 ●免許証返納

 「高齢者は免許証返納を!」と騒がれたことが以前あった。「そんなもん!」と馬鹿にしていたが、私のように加齢を体感してくると何も「認知症」でなくても「その時」を決めないといけないと思いだした。

 私の知り合いの7歳年上の有名ギタリストは、ギタープレイが凄いのは当たり前だが人間的にも尊敬できる人だ。「一芸に秀でる者は多芸に通ず」。その方は若い頃からクルマ好きで多くの愛車遍歴と同様に愛人遍歴も凄いが先日、とうとう自分で運転するのを辞めたと聞いた。自分を客観的にみて判断したらしい。尊敬するに値する。

 読者の皆さんも普段の自分の生活状況を思い出し、そこに「加齢」が多く出てくる時は、「決断の時」かも知れません。ただ、仕事で運転せざるを得ない人などは、自覚しても自分自身で判断しにくい場合もあると思う。

 定年のように一律でその年齢を決めたりできるものではないが、自分や雇い主などが判断しやすいような何かしらの基準があっても良いかなと最近思い出した。私はもう少し様子をみて判断したいと思う(まだいけるはもう危ない⁉)。

 ●高齢者はソリッドカラー?

 しかし、最近の板金塗装費用は馬鹿にならない。私の場合ディーラーに出すとウン十万円。カーコンビニ倶楽部で見積もってもらっても桁上で意外と高額!是非とも事故は避けたいものだ。ちなみにボディ色はソリッドカラーの方が安くつきますよ。

 高齢者事故の多くは、「ボケーっと運転」と「パニックに陥る」だが、まずは、生活の中から兆候を見出して「その時」を決断してはどうでしょうか。

 〈プロフィル〉しげ・こうたろう 1979年ホンダ入社、34年間在籍し「CR―Xデルソル」「ライフ」「エリシオン」、2代目「フィット」「N―BOX」など数々のヒット車の開発責任者を務めた。2013年12月定年退職。現在は新聞やネット、雑誌で自動車関連記事を執筆している。1952年7月生まれ。