●またまた認証問題
ダイハツの認証不正問題に関連してカーメーカーが内部調査を実施した結果とはいえ、こんなにも多くのカーメーカーの認証不正が次々と出てきたのには驚いた。しかし多くのカーメーカーは販売済みの車両に安全性などの問題はなく、そのまま乗り続けても問題は無いと言っている。なのに生産を止める?どういうことだ? 国に認証してもらう段階で不正を犯して書類を作っていたのに、クルマ商品自体は大丈夫ということは、いったい何のための認証なのか?
●認証テスト基準
トヨタなどによると、国の認証テスト基準よりも厳しいテストを行っていた等の理由で、クルマの機能性に問題はなく、乗り続けても良いということらしい。じゃなんで、より厳しいテスト基準でやっていたか?
世界に向かって輸出しているカーメーカーは、各仕向け地ごとの法規適合性を確認する必要があり、それぞれの法規に合わせた適合性のテストを行うが、大変な数になる。しかし、仕向け地によっては「〇〇に適合していればわが国の法規適合テストはそれに準ずる」というカーメーカーにとって有難い国もある。
例えば極端な話、全ての仕向け地が一つの基準で良ければ、テストは1回で済むのだが、それぞれの地域には特性や事情があり、中々そうはいかない。開発のコストや期間は、クルマづくりの中でも大きなウエートを占めるので、テスト工数が減ることは、カーメーカーにとってはありがたい。
日本の認証制度は、国の定めた基準でテストして認定書類に結果を記載し認証する形になっており、たとえより厳しいと思われる条件でテストをしているとしても、それがホントにそうかという判断は役所には難しく、「法に反する」ということになる。近頃は、日本で「コンプライアンス」を厳しく問われ始めており、「法に反しているかどうか」も厳密に扱われる傾向だ。
前回の記事の「一時停止の話」と同じで、法律的には白線を少しでも超えたら停止していても「違反」となり、取り締まりの対象ということだ。違反しても安全に運転していたから…オマケ、という現場の裁量はないのだ。
●法律の理解
官庁は法に対して厳格。政治家も何かにつけて「法は守っている」と言う。しかしコンプライアンスとなると、社会規範、倫理、道徳なども含んでの話になる。
日本人は戦後の「自由」と同じように「コンプライアンス」もその表層だけで運用しがちだ。主旨やその本質まであまり考えない。それでも政治家の皆さんには、「法さえ守れば良い」という事でなく是非コンプライアンスを守って欲しい。
一方で、法というのは所詮人間が作るものであり、絶対的ではなく、時代にそぐわなくなる内容なども出てくる。その時は、法を改定したり新しく作り直すべきだが、監督官庁を中心にした業界全体の仕事になり、さらに自分達の事情や都合が先に来る。今では調整が大変で中々動けない。
ちなみに、アメリカの陪審員制度は法の解釈を基本に判断する裁判官から独立して、事実の判断と「法的には分かるが、一般的に考えるとこれっておかしくない?」というようなことを大切にして運用するものだ。
結局、今回の認証問題は「厳密には法に沿っていない。しかし実害は無いと思われる」というレベルの問題なのに、カーメーカーと関連メーカーの生産も止めざるを得ないという事態になっている。経済は止まってしまう。法律的にそういうことでも「これって、おかしくない?」
●日本の体質
たとえ認証制度が無くても、各カーメーカーには内規があるので、その基準によってクルマは造れるだろう。しかし、認証制度はお役所とカーメーカーの間で「間違いなく法適合したこの仕様で造ります」というお約束でこれは必要だろう。無ければ、ズルズルとなるのが「人」だ。交通法規だってみんなが守れば、免許証や取り締まりは不要なのだ。
多分多くの国民は今回の不正に対して、深く考えずに「またか!」で終わって「人の噂も75日」で忘れてしまう?
今回のような認証問題(品質問題)を防ぐには、事象の元の本質まで追求し適切な対策や改革をすることだ。コレ役所は苦手?元まで追求すると、「日本の自動車の認証制度が、時代の流れ=実情からズレている」ということになるかもしれない。これは役人自身の首を絞めるようなモノ?
テレビをはじめ、ほとんどの媒体のニュースは「◯◯が、ありました」という表層的報道で終わり、何でそうなったかはすぐにはわからないので、後回しになり〝75日〟が経ってしまう図式だ。多くの日本人はそれで納得してしまう。国民がこんなもんだと諦めてしまってはそこで終わりなのだ。だから、繰り返されてしまう。
国民も疑問を持って「なぜナゼ」でしぶとく考えるべきだろう。諦めて放っておくのは良くない。全てが止まる。
戦後の特振法(特定産業振興臨時措置法案)で「自動車メーカーの数も制限されるかも」となった時に、当時の本田宗一郎社長は「何を造って売ろうが自由だ」と厳しく反論したと聞いている。結局最後は廃案になった。
法律は人間が作るので間違いはあるのだ。分かった時に正せばいい。実は私もアメリカのFMVSS(連邦自動車安全基準)にモノを申した経験がある。
●ホンダの認証テスト
筆者は、長年、特に競争が厳しい軽自動車の開発を担当していた。コストや開発日程等も厳しいが、計画通りにテストでOKを取り、認定書類等を作り認可してもらわなければならない。しかし、そのような中でもホンダは遵法精神が強かった。
先程の「特振法案」に意見して以来、お役所に後ろ指を差されることがないようにという配慮があったのかどうかは定かではないが、法関係に対しては非常に厳格だった。少なくとも私が在籍していた時はそうだった。
特に、当時ホンダの認証部門は日本の三権分立のように独立していて、たとえ社長でも口出しすることはできす「ここ(認証部門)だけは役所なのだ」とよく思ったものだ。
衝突テストなどは、ダミーの座らせ方をチョット変えるだけで、その値は変わる。テスト車両の数に限りがある中で、衝突テストではクルマがつぶれてしまうので、何回もNGだと最後にはテスト車両が無くなることになる。しかも軽自動車では衝突テストだけでなく、コストから設計仕様も過剰品質にならないようにギリギリでクリアーを狙うので余計だ。
そんな中、筆者はテスト前の認証部門の担当者に小さな声で、ただ「よろしく」と言葉を発したことがあった。しかし彼は過剰に察して?「私たちはキッチリとルールに則ってテストするだけで、その結果には関知しません」…まるで裁判官に見えた。
私は、小さくなって「テストでOKが取れなきゃ、私はクビになる!」と周りに聞こえないようにブツブツと言った。今思うと、彼らも開発の事情がわかっていながら、偉かったと思う。
●まとめ
それが、今ではホンダも他の会社と同じように横並びの不正だ!となったことは、どんな事情があっても大変寂しい。日本のお役所相手の仕事を甘く見ていたのではないか?
自分の、仕事の意義や重み、位置付けなど、仕事を仕事以上に考えずにマニュアル的にこなしていたのではないか?体質の垢のようなものか?などといろいろと想像してしまう。
いずれにしても認証部門は、会社から独立して(社内事情をくみ取らない)「お役所」であるべきだと思う。まぁ、それぞれ社長が出てきて陳謝する事態なのだが、今後は社内的にあるいは外に向かって?どう展開していくのか?「…75日」は良くない。
それにしても「お固い役所」何とかならないかなぁ。日本経済の足引っ張っていない? 使えないマイナンバーカードで胸を張っているし…。