ホンダは「ホンダ青山ビル」(東京都港区)を2025年度中に取り壊し、新本社へと建て替える。青山ビルは1985年に竣工し、神宮外苑周辺の象徴として親しまれてきた。当時すでに本田宗一郎氏と藤沢武夫氏は経営の第一線を退いていたものの、安全思想や権威主義を嫌う宗一郎氏の価値観はビルの随所に反映された。今年5月の業務終了を前に、建築史家で大阪公立大学教授の倉方俊輔氏とともに、「ホンダらしさ」を建物から読み解いた。
ホンダ青山ビルは、ホンダにとって八重洲ビル(1960年竣工)次ぐ2代目となる本社ビルだ。建設当時は2度のオイルショックを経てバブル景気に突入する前夜。すでに丸の内周辺などで開発が進んでいたが、倉方教授は「若者の感覚が分かるところに本社を建てた」と青山の立地を解説する。その後、ホンダは「デートカー」の代名詞、3代目「プレリュード」などを世に送り出していく。
1階エントランス前には2本の小判型の柱がある。当初は円柱だったが、神社や銀行を想起した宗一郎氏が「権威の象徴だ」と激怒。完成直前だったにもかかわらず、側面が急きょカットされたとのエピソードが残る。
「人間尊重」の理念も具現化している。地下3階にはカナダ産のヒバの大樽があり、飲料水を貯水している。ビル1階で「宗一郎の水」として広く振る舞われているほか、災害時の飲料水を確保する目的もある。
地下にはビル従業員数を超える1万人分の食料や防災グッズを備える備蓄庫もある。東日本大震災を経て、今でこそ防災備蓄は努力義務化されたが、竣工当時は珍しく、有事の際は周辺の人々に提供することも想定している。
安全への意識も感じられる。交差点の見通しを良くしようと、ビルの角は丸みを帯び、地震などでのガラスの落下を防ぐバルコニーも設置されている。災害時の避難経路としても使える。
オフィスフロアは、階段やエレベーター、水回りなどを集約し、広い執務スペースを確保している。倉方教授は人の居住空間を最大化する「MM(マンマキシマム・メカミニマム)思想が反映されている」と解説する。個室のない役員室や、派手な装飾を抑えた応接室、どのフロアでも2方向以上動ける避難路なども、創業時からのホンダの思想を体現したものだ。
ビル誕生から39年が経ち、今や周辺の六本木や渋谷、新宿には高さ200㍍を超える高層ビルが立ち並んだ。倉方教授は「本社ビルを建てるのは、今は流行りではない。会社が大きくなるか小さくなるか、合併するかも分からない」と話す。リモートワークも広がり、大手企業でも経済合理性からオフィスビル内に本社を移すケースも珍しくない。
そんな中、ホンダはあえて自社ビルを建て替える選択をした。倉方教授は「ある意味、一番(ホンダに)合っている。出来合いのビルに入居したら『ただの企業』になってしまう。他と違うから競争力がある。そのスピリットが次のビルにも継承される」と話す。
ホンダの研究領域も、人工知能(AI)の活用や「ホンダジェット」、電動垂直離着陸機(eVTOL)まで広がっている。事業環境の不透明さが増す中、現場との連携を深めつつ、より柔軟で迅速に意思決定できるように、本社もフルモデルチェンジする考えだ。
1階「ウエルカムプラザ青山」は今年3月末で休館となる。新本社は30年度の完成を予定している。(中村 俊甫)