世界最大手の自動車部品メーカー、独ロバート・ボッシュは、本社近くのシュトゥットガルトに、一般には公開していない歴史博物館を開設している。創業者ロバート・ボッシュの生い立ちや、創業以来の製品開発の様子、昔の販売店を再現した展示、ボッシュが家電市場に参入した頃の製品なども披露。これらを眺めると、それぞれの時代の息遣いが体感できる。
見習いや技術者として働いた経験から、起業を目指したロバート・ボッシュ。1886年にシュトゥットガルトで「精密機器と電気技術作業場」を設立した。当初は浮き沈みがあったが、90年代半ばから事業は順調に回り始めたという。そこでは初期の電話システムや電子ベル設置など、精密機械や電気工学関連の作業に従事、定置エンジンの設計に合わせた「マグネトー式点火装置」の製造を依頼され、これを改良し、その生産につながった。
97年からは、「マグネトー式低圧点火装置」の自動車への搭載を始め、これの信頼性の高さから点火装置のサプライヤーとなった。1902年、ボッシュの主任エンジニアだったゴットロープ・ホーノルトが、さらに優れたソリューションを公開。スパークプラグを装備した「マグネトー式高圧点火システム」ができ、世界屈指の自動車部品サプライヤーとなる道を開いた。さまざまな生産手法の試行錯誤を経て、01年には工場を建築し、順次、能力を拡大していった。
同時期に海外展開も始まった。ターゲットは自動車市場が広がっていた英仏。1898年には英ロンドンに営業事務所を開設。99年には仏で子会社を開業。1905年からは、自社工場でマグネトー式点火システムを生産し、旺盛な需要への対応を進めた。関税や長い輸送ルートを考慮して、生産の現地化も進めた。
この世紀の変わり目のころ、モーターレースが開催されるようになり、自動車メーカーやサプライヤーが技術力をアピールする機会となった。03年にはボッシュは点火システムを供給するようになり、レースでの勝利に貢献した。
米国でも事業を開始、12年にはマサチューセッツ州の自社工場で主要製品の製造を始めた。さらに10年までに南アフリカや豪州、アルゼンチン、中国などにも進出。日本でも11年に営業所を作った。
営業ネットワークはすべての大陸を網羅。13年には独国外の売上高が全体の88%を占めるようになった。ただ、14年に第1次世界大戦が勃発。外国での取引が途絶え、研究開発は中断。マグネトー式点火装置の代わりに、手榴弾の雷管を製造するようになった。
(編集委員・山本 晃一)
※次回は2025年1月8日付に掲載予定