29回にわたって出場してきた寺田氏(左、提供=MZRacing)

 〝ミスタール・マン〟こと寺田陽次郎さんが、フランスの国家功労勲章シュヴァリエを受章した。フランス大使館で19日に開かれた叙勲式では、「これからもフランスと日本の友好関係を深められるように微力ではあるが精進していく」と笑顔をみせた。

 寺田氏は1974年、マツダオート東京(当時)のドライバーとして、ル・マン24時間レースに日本人として初参戦。1982年に初完走し、以後4度のクラス優勝を収めてきた。累計出場回数は世界2位となる計29回にも上り、日本人がル・マンを目指すきっかけをつくった。この功績が認められ、2003年にはレースの主催団体であるフランス西部自動車クラブ(ACO)の理事に就任。6月上旬に行われたル・マン100周年記念大会では、日本メーカーとして初めて優勝した「787B」でデモンストレーション走行も披露した。

 寺田氏の功績はドライバーとしてだけのものではない。13年から取り組んできたのが東日本大震災に被災した中高生の自立を支援するプロジェクト「サポート・アワー・キッズ」だ。同プロジェクトでは毎年約10人の子供たちをフランスに招待し、ル・マン24時間の見学や現地学生との交流を通じて、異国の文化などを学ぶ場を提供してきた。

 今回の国家功労勲章を受章は、こうした活動が評価されてのもの。叙勲式ではフィリップ・セトン大使が「今まで歩んできた功績に加え、人のために尽くす心やフランスと日本の懸け橋になられたことに敬意を表する」と述べ、寺田氏に勲章を授けた。

 一方、寺田氏は「50年間もル・マンに関わってくることができたのは『世界のひのき舞台に日の丸を掲げたい』という思いがあったこと。そしてフランスの方々との強固な絆と友情があったから」と、感謝の意を示した。また、「マツダのおかげで今がある。僕はロータリーが好きだから」と、マツダへの深い思いも明かした。叙勲式には毛籠勝弘専務執行役員ら同社の役員も出席し、寺田氏の晴れ舞台を祝った。

 てらだ・ようじろう 1969年にマツダオート東京に入社し、社員ドライバーとして多くのレースに参加。72年には東洋工業(現マツダ)の契約ドライバーになり、市販車の開発にも寄与。74年にル・マン24時間に初出場し、2008年まで27年連続で参戦。現在はオートエクゼ社長、ACO理事などを務める。1947年3月生まれ、76歳。兵庫県神戸市出身。