現行型の最終モデルとなる「A90ファイナルエディション」
映画の主人公が乗り国内外で人気を誇る4代目(A80型/1993)
国内でもスープラを名乗ることになった3代目(A70型/1986)
リトラクタブルヘッドライトを採用した2代目(A60型/1981)
1978年に登場した初代(A40型)

 トヨタ自動車が2シータースポーツカー「スープラ」の生産を終了すると発表した。「A90ファイナルエディション」の投入を最後に、BMWとの協業で17年ぶりに復活を果たした現行スープラの歴史はいったん閉じることになる。次期型の投入予定は不明だが、トヨタ幹部はスープラの源流とも言える「セリカ」の新型車開発について言及しており、トヨタのスポーツカー系譜の行く末が注目される。

 スープラの初代モデル(A40型)が投入されたのは1978年。コンパクトクーペ「セリカ」の上位モデル「セリカXX」として登場、北米向けでスープラの名称を採用した。ロングノーズに直列6気筒エンジンを搭載したことがセリカとの最大の違いだ。

 3代目(A70型)からは日本向けもスープラを名乗り、セリカから独立。高級クーペ「ソアラ」と車台を共通化し、ボディーも大型化した。4代目(A80型)は、最高出力280馬力を発揮する排気量3㍑直列6気筒ターボエンジンを搭載し、トヨタのトップスポーツカーとしての地位を確立した。2001年に公開された映画「ワイルドスピード」の主人公の愛車として登場し、国内外で強い人気を誇る。

 5代目となる現行スープラ(A90型)は19年にデビューした。4代目のA80型が生産中止となったのが02年で、新型投入には、実に17年を要した。当時、日本市場から姿を消したスポーツカーはスープラだけではない。日産自動車の「シルビア」やマツダの「RX―7」など、当時の排ガス規制をクリアできず、国産スポーツカーは冬の時代に突入した。

 そもそも販売台数が少なく、運動性能を求めるがゆえに専用設計が必要となるスポーツカーの採算性は低くなりがちだ。安全性能や環境性能などの要求も年々厳しくなる中で、スポーツカーを投入するハードルはますます高くなる。こうした中、トヨタはBMWとの協業という形で、スープラ復活の道筋をつけた。トヨタとスバルで共同開発した兄弟車、トヨタ「86(ハチロク)」とスバル「BRZ」と同様に、スポーツカーの生き残り策として他社との協業に活路を見いだした。

 開発や生産にかかるコストを単純計算で折半できる共同開発の手法によって、歴代スープラが採用したフロントエンジン後輪駆動(FR)と直列6気筒エンジンという特徴を5代目でも継承することができた。とはいえ、海外メーカーと共同開発し、生産をマグナ・シュタイヤー社に委託するという形はトヨタにとって異例尽くしだった。BMWは同じ車台でオープン2シーターの「Z4」を開発したが、共有化したのは車体骨格のみで、内外装の9割は両車で別の部品を使い、スープラとZ4は兄弟車を思わせない全く別ものに仕上がった。

 5代目をベースとしたレース専用車「GT4」が世界各国のレースに出場しているほか、ドリフト競技やナスカーなどスープラはさまざまなモータースポーツでも活躍している。現行モデルの生産は終了するが、モータースポーツの現場では当面、レースカーとして使用が継続されることになる。

 スープラの次期型について、現時点でトヨタから正式なアナウンスはない。5代目の開発で協業したBMWとは9月に新たな基本合意書を締結したが、今回の協業は水素分野が軸となり、スポーツカーの共同開発は盛り込まれなかった。

 一方、スープラの源流であり、06年に生産を終了したセリカは、豊田章男会長が「復活を執行メンバーにお願いしている」と言及し、最高技術責任者(CTO)の中嶋裕樹副社長も「セリカ、やります」と開発準備を進めていることを認めている。また、モータースポーツ向けのベース車両としては、22年の「東京オートサロン」で公開した「GR GT3コンセプト」の市販版の開発が進んでいる。現行スープラは生産終了となるが、スポーツカーの伝統継承とモータースポーツへの挑戦は今後も続いていく。

(福井 友則)