「富士山の半分が割れてしまって、寶永山の方はどこかに吹っ飛んでしまった」「横濱港の入り口に大島が出現して船は横濱港に入れなくなってしまった」―。これは大西洋上の客船に伝えられた関東大震災の被害状況で〝流言飛語〟の一部だ。当時、これを聞いた日本人たちは驚き、怯(おび)えた。そこにヤナセの創業者で欧米視察中の梁瀬長太郎がいた◆大正12年9月、フランス…
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「富士山の半分が割れてしまって、寶永山の方はどこかに吹っ飛んでしまった」「横濱港の入り口に大島が出現して船は横濱港に入れなくなってしまった」―。これは大西洋上の客船に伝えられた関東大震災の被害状況で〝流言飛語〟の一部だ。当時、これを聞いた日本人たちは驚き、怯(おび)えた。そこにヤナセの創業者で欧米視察中の梁瀬長太郎がいた◆大正12年9月、フランス…
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