日産自動車が26日に生産を終えた旗艦車、R35型「GT-R」。日産の量産車として史上最高の性能を実現するため、アルミダイカスト製のボディー部品や内燃機関の制御など、唯一無二の技術を惜しみなく盛り込んだ。こだわりを実現する取り組みが人材育成や組織連携にもつながった。欧州のスポーツカーを凌駕する性能を、量産車としての品質を保証しながら具現化した功績は大きい。
R35型は「誰でも、どこでも、どんな時でも最高のスーパーカーライフを楽しめる」を開発コンセプトに、2007年に生産を始めた。当時、ポルシェなど欧州の名門メーカーでも、高性能モデルを乗りこなすには一定の技量が必要だった。R35型の開発初期から携わる、車両計画・車両要素技術開発本部シャシー開発部の松本光貴主担は、「雨が降っても、運転スキルが高くない人でも、安心して速く走れる『夢のクルマ』がスタートだった」と話す。
実現に向け、最高出力480馬力(発売当時)の排気量3.8㍑エンジンを専用プラットフォームと四輪駆動システムが受け止める、独自設計を採用した。先代までとは異なり、セダン「スカイライン」とは独立して開発された。
先進技術の採用はパワートレインだけにとどまらなかった。前輪のサスペンションの取り付け部にあたるストラットハウジングは、それまで鋼板製の15部品を溶接していたが、アルミ鋳造部品1点に置き換えた。当時、足回りに大型のアルミ鋳物を用いるのは珍しかったが、軽量化と剛性アップに加え、高速走行のための「精度が必要だった」と松本主担は話す。サーキットでの時速300㌔㍍超の走行は、日産の量産車として過去に例のない速度域であり、極めて高い設計精度が要求された。
生産現場でも異例の対応を取った。通常の量産工程では足回りの組み付け後に1回実施する四輪のタイヤの向き(アライメント)の調整をGT-Rでは仮組みを含めて3回実施し、完成検査も2回実施した。完成直後の試走で生まれる誤差が高速走行時の直進安定性などを下げる可能性があったからだ。「非常に手間がかかり、工場からは最初は『あり得ない』と言われたが、最後は『GT-Rならば』と協力を得られた」と松本主担は振り返る。
さらに販売会社では、特別教育を受けたスタッフが定期点検を担う「日産ハイパフォーマンスセンター」制度が導入された。量産車として高い品質を担保するため、開発、生産、アフターサービスの各部門が連携し、それぞれの技能を引き上げた。
GT-R専用だった技術は、他モデルへと展開され始めている。内燃機関の「気筒別点火時期制御」は現行型「フェアレディZニスモ」の排気量3.0㍑エンジンにも採用され、最高出力を420馬力へと高めている。
高圧のアルミ鋳造部品も27年以降に投入予定の次世代電気自動車(EV)などで採用される見込みだ。今でこそギガ(メガ)キャストとして米テスラなどで使われているが、日産には高速域でのサーキット走行に耐えうる走行性能を担保したノウハウがあり、松本主担は「携わった人の技術やスキルが上がる。開発者が育つという意味でも非常に重要な位置付けだった」と意義を語る。
今でこそ電動車の展開に積極的な日産だが、内燃機関モデルで長年磨いた高い技術開発力と生産技術力は、将来の競争力の源泉となる。生産開始から約18年の歴史に終止符を打ったR35型の技術は、有形・無形を問わず伝承され、次世代車に生かされる。松本主担は「いつかこのDNAを持った若い世代が、こういうクルマを復活させてくれると思っている」と、経営再建を果たした暁の後継車種の誕生に期待した。
(中村 俊甫)