「パワー88」を発表するカルロス・ゴーン氏(2011年6月)

 過去の経営危機からV字復活を遂げた日産自動車。カルロス・ゴーン氏が主導した「日産リバイバル・プラン」(2000~2001年度)は、利益や売上高などの数値をコミットメント(必達目標)とし、村山工場の閉鎖やサプライヤー数の削減を一気に進めた。この結果、同プランは当初予定よりも1年前倒しで達成し、その後の業績回復につながった。

 リバイバル・プランの10年後に始まったのが営業利益率とシェアを8%にする「日産パワー88」だ。当時の営業利益は6・1%、シェアは5・8%。世界金融危機による経営悪化を労務費の削減で乗り越え、規模の拡大を追いかけ始めた。世界市場が16年に9千万台になると想定し、中国や東南アジア、ブラジルなど新興国への投資を拡大。パワー88期間中に世界年産能力を720万台に引き上げた。

 しかし、ゴーン流のコミットメント経営はこの時点から揺らぎ始める。ゴーン氏は「新中計はハードルの高い経営計画だが、達成できると確信している」と語ったが、最終的な結果は営業利益率が6・9%、世界シェアは6・1%に終わった。このほかにも各地域でのシェアやEV(電気自動車)販売など多くの数値目標を掲げたが、達成したのは「メキシコ市場シェアトップ」と「配当性向25%以上」などわずかにとどまる。事業規模は確かに中計開始前と比べ膨らんだが、新興国市場を思うように攻略できなかった。増強した生産能力を生かそうと、米国などで利益を削って販売台数を稼いだことも利益率に響いた。

 この教訓を踏まえ、17年11月に発表した「M・O・V・E2022」では、売上高を12・8兆円から16・5兆円にまで3割増やす一方、台数よりも収益を重視した計画とした。西川廣人社長(当時)は会見で「8%のシェアに至るポテンシャルはあるが、大きな目標にして掲げるべきではない」と抑制を効かせた。課題だった新興国については「かなり大きな投資をしたが、足腰がついてこなかった。最初の3年で新興国は着実に成果を出す」と語った。

 しかし、結果的に新興国の状況は大きく変わらず、主力の米国でもインセンティブ(販売奨励金)頼みの経営が続いた。ゴーン氏が日産の取締役から解任された19年4月の翌月、中計の目標を取り下げ、ゴーン流の拡大路線とようやく決別した。

 19年12月にトップに就いた内田誠社長のもと、20年度から始めた「ニッサンネクスト」は、前半の2年間でスペインやインドネシア工場の閉鎖など固定費の削減を進めた。生産能力を2割減らし、商品ラインアップも15%削減した。14年に導入した新興国ブランド「ダットサン」も22年に廃止する。一方で新型車の投入を加速し、台当たり売上高を18%増やした。最終年度となる23年度の営業利益は目標の5%にわずかに届かない見通しだが、販売の「質的向上」の成果は表れ始めている。パワー88時代には芽吹かなった電池や制御などの電動化技術も今や大きな強みだ。

 ただ、足元では中国事業の低迷という新たな悩みも出てきた。日産は今秋にも次期中期経営計画を発表する。収益力が高まりつつある中、中国事業をテコ入れし、ルノー、三菱自動車、さらには新たなパートナーも含めどう成長ビジョンを描くのか注目だ。

 

 日本初の中計は1956年に松下幸之助氏が策定した「松下電器5カ年計画」とされる。今やステークホルダーとの対話に欠かせないと各社が中計やビジョンの充実度を競う。一方で「先行き不透明な環境で3~5年先の精緻(せいち)な計画をつくる意味が薄れている」と味の素が中計の廃止を発表した。不透明な環境は自動車業界も同じだが、実行力を占う上で各社の中計を振り返る。