RAC・Sの祝賀会で「生涯現役」を宣言する篠塚建次郎さん
篠塚氏がドライブした三菱自「コルト ギャラン」ベースのラリーカー(レプリカ)

「パリ・ダカール・ラリー(パリダカ)」で日本人初優勝を果たした〝シノケン〟こと篠塚建次郎さんが3月18日午前、膵臓(すいぞう)がんのため、長野県諏訪市の病院で亡くなった。75歳だった。

東京都出身。東海大時代からラリーを始め、1971年に三菱自動車工業に入社。社員ドライバーとして国内外のラリーに出場した。パリダカには86年から参戦し、97年に日本人初の総合優勝を果たした。22年11月にはこうしたモータースポーツの成果や、ダカールの隣にあるセネガル・ヨッフ市に小学校を設立(02年)した社会貢献が評価され、日本自動車殿堂に選ばれた。

篠塚さんの殿堂入りを祝い、老舗ラリークラブ「ランブリング・エンジェルス・クラブ・スポーツ(RAC・S)」が翌年に開いた祝賀会で篠塚さんは「まだしつこくラリーで走ろうと悪あがきしてまして」と〝生涯現役〟を宣言し、アフリカエコレースの参戦に最後まで執念を燃やしていた。

(2024/3/19修正)