日本の自動車産業は国の基幹産業として戦後発展してきた。しかし、1991年に始まったとされているバブル崩壊以降、自動車販売は落ち込みを続けている(図-1)。その間、時代も変遷し、それに伴いユーザーの価値観も変化した。
バブル崩壊以前は、スーパーカーを頂点として2人乗り+α程度の贅沢なパッケージングからくる「スマートなカッコよさ」と「速さ」を持ったクーペ系がユーザーの憧れだった。実際、80年代の「ソアラ」は現在の「86」よりはるかに売れた。
〝バブル崩壊〟以降は、ホンダ「オデッセイ」を皮切りに「ステップワゴン」など、家庭生活を価値観においたミニバンがトレンドとなった。その後、独身者の増加とともにアクティブなSUVがトレンドとなっているが、〝失われた30年〟と言われている厳しい経済環境とIT(情報技術)の進化の中で、クルマは必要な人の生活品となり、話題にする人も少なくなり〝白物化〟していった。
2000年代に入るとそのトレンドは加速し、バブル期に発売されたマツダ「ロードスター」は既に超低空飛行となっていた。そんな時代の00年代後半にCR-Zの企画はスタートした。
「CR-Z」は、二代目「CR-X」や初代「インサイト」と似ているとよく言われる(図-2)。
初代CR-Xは当初「50マイルカー」(ガソリン1ガロンで50マイル走れる車)と社内で呼ばれていた。時代に先駆けて空力を極めた「高燃費(燃費性能が高い)の研究車」だったが、結果的に走りが良くなりライトウエートスポーツとして開発された。
2代目CR-Xは燃費より走りを追求するために空力をさらに極めた。
その後、HEV(ハイブリッド車)技術による「燃費世界一」をコンセプトに開発されたのが初代インサイトで、こちらも空力を極めたことから必然的に両車のスタイルが似てしまったのだ。
ただ、その後に開発されたCR-Zの経緯は少し異なる。2代目CR-Xより約20年も経った中で「ホンダはミニバンメーカー?」と言われ始め、若い頃2代目CR-Xなどを経験した世代が成長し社内で発言力を持つ立場になって「そもそもホンダブランドはスポーツだ」と言い始めたりして、「CR-Xよもう一度」という雰囲気が社内に生まれていた(図-3)。
ホンダブランドは意識的に作られたものでなく、時代をリードする商品の積み重ねでできてきた。それゆえ、世代によってホンダのブランドイメージは異なってくる。
ブランド自体の本質は創業時から変わっていないが、強いて言えば創業者の活躍した時代とその後で少し変化したかもしれない。ホンダブランドに関してはまた別途解説したいと思う。
CR-Zの企画は、ホンダ自身のブランドや世の中を考慮したものでなく、発言力のある人やデザイナーの個人的な価値観から始まっていた。
CR-Zのデザインは、若いデザイナーのスタディモデルとして、全く新しいデザインではなく「2代目CR-Xを今風にデザインし直しHEVとくっ付けたら…」という発想から始まった。スタディモデルとは量産を前提とせず、デザイナーの想いを大切にして創るモデルだった。
私はホンダのデザインについて「次世代をリードするような創造的で新しいもの」であるべきと考えていた(初代CR-Xや初代シティのような)その価値観からすると、CR-Zのデザインは単なる焼き直しだ。2代目CR-Xに憧れたユーザーがホンダに入社し、過去の体験を引っ張りだしているだけに見えた。もっともデザイナーもそう思ってデザインしたのだから、そりゃそうだろうという話だ。
またHEVスポーツという概念は新しかったが「本当にスポーツと環境は商品として両立するのか?」という疑問は大きかった。つまり、デザイナーの想いのままで、よく吟味されたスタディモデルではなかったのだ。
しかし、そのスタディモデルにガブっと食いついたのが社長だった。彼の価値観ピッタリだったのだ。喜んだのはデザイナーだ。
当時、デザイナーは既に数多くいて、自分のデザインが量産車に使われることは稀としか言いようが無い中にありながら、自分のデザインが社長に気に入られて直ぐ造ろうとなったのだからそりゃ喜ぶ。
企画作業は四輪事業本部の私のテリトリーだった。HEVスポーツとは?を煮詰め商品コンセプトを創る作業は困難だった。
結局、過去の2代目CR-Xのような「全域の走りを追求してそのためのデザインをする」というのでなく、スモールスポーツカーユーザーの価値観である「発進時のトルクをモーターに担わせた加速と素早いハンドリング性能と環境性能」を中心とした。デザインはそういう新しい乗り物にふさわしい未来的なものに変更しようと考えた。
これに、反発したのはデザイナーで、さらに社長にまで「CR-Xの現代版でなにが悪い?」と上から被せられ、アッサリと現行案で決着した。
なぜアッサリかと言うと、社長は強くこれが良いと信じており私が正論でやりあっても必ず負けてしまうこと、さらにやりあう事は「分かってない奴だな」と外される飛ばされる…リスクがあった。簡単に言うと、私はビビったのだ。
バブル崩壊以前は、直感的な思い込み企画でも作り手とユーザーの価値観が近かったので成立することもあった。しかし、バブル崩壊以降は前述のようにユーザーの価値観がクルマから離れ始めて、特にクーペ市場は小さくなっており、しっかりと世の中や「市場」「顧客」「自ブランド」「競合」などをマーケティングし商品魅力を定める必要があったのだ。
CR-Zは北米・欧州・日本の3地域で上市するほか、HEVということもあり大所帯での開発となったが、開発メンバーは毎日クルマの事だけ考えているような世の中からズレた価値観のメンバーが多かった。そして久々のスポーツカー開発ということもあり、盛り上がった。
発売後、当初は好調な滑り出しとなりホッとしたがそれも束の間。一年待たずして苦しい状況となり、元開発メンバーは沈み込んだ(図-4)。
いわゆる「買う人が買っておしまい」という状況だ。もちろん、MMC(マイナー・モデル・チェンジ)をしても効果はほぼ出ない。これは「ビート」などにも見られた現象だった。
やはり、キチンとマーケティングせずに、世の中からズレた過去の成功体験やKKD(勘と経験と度胸)のプロダクトアウトで開発スタートしてしまうとどうにもならない。それをわかっていながら同様の事態を引き起こしてしまったのは後の「S660」である(図-5)。
こちらは生産投資の関係から工場の能力に限度があったのでピークは出ずに2年近くフル生産が続いたが、結果は似たような販売台数となった。もちろん、経営陣に押し切られたというより、この時も私がビビッてキチンと進言できなかったのだ。同じ間違いを繰り返した。
全くの言い訳になるが、上下関係のある経営陣と現場開発者もやる気になっている中で、企画屋が冷静に「販売台数は厳しいですよ」と物申すのは現実的には大変難しいことだった。
また、販売台数だけでなく、時代とはズレているが〝夢〟として若い開発者に残っていた「スポーツカーを造りたい」という想いを完全に排除することも切なかった。一方で、一機種くらい失敗してもホンダがつぶれる訳じゃないとも考えた。
いろいろ考えると、ユーザーやホンダにとってこれらの商品開発はプラスだったのかもしれない。しかし、少なくともCR-Zや「S2000」、S660などのスポーツカーを購入するユーザーの商品やメーカーに対する想いは強い。
一機種限りでディスコン(絶版)してしまうのはユーザーを裏切ることになるのではないか。マツダのロードスターやダイハツの「コペン」は貫いている。ただ、台所事情は厳しいと思う。
(コンサルティングオフィスSHIGE代表、元ホンダ開発責任者)

























