恒次が70年に亡くなり、長男の耕平が創業家3代目(通算4代目)社長に就く。しかし、石油危機とRE車の販売不振で75年10月期に173億円の経常損失を出し、7年で退陣に追い込まれる。祖父の30年、父の19年に比べ短い在任期間だった。重次郎の孫で宗彌の息子である広島マツダ名誉会長の松田欣也は「やはり恒次さんは偉かったと思う。あれだけ次々と新型車を出し…