キュニョーの砲車:1771年修復後の2号車(パリ工芸博物館の展示品より)

■ドイツ自動車産業史連載にあたって/日本の自動車産業を担う若い人たちにドイツ語との出会いは高校3年の時でした。その時は難しい語学で好きにはなれなかったのですが、自主勉強をするうちに深みにはまりドイツに留学するまでになりました。商社に入ってからもドイツ語とは縁が切れず、大手商社でドイツ駐在を6年近くやり、その後職場を変わっても輸入車の日本国内販売や…