連載「新章 チームスズキの挑戦」番外編 受け継がれる〝オサム精神〟

  • 自動車メーカー
  • 2025年12月25日 05:00

 スズキのカリスマ経営者、鈴木修氏(享年94)がこの世を去り、25日で1年が経つ。スズキとして特別な行事は予定していないという。誰もが認める特別な存在だったが、いないことがごく自然になっていると言える。修氏の長男である俊宏社長は修氏の「ワンマン体制」から「チームスズキ」として経営を進めていく方針を訴えており、着実に浸透しつつあるようだ

 報道陣向けのスズキの技術戦略説明会が9月に行われたが、大きな変化があった。

 各技術部門のトップのほか、若い世代が集まり課題解決に取り組む「未来R&Dプロジェクト」のメンバーも登壇したのだ。それぞれがのびのびと発言していた。

 その場にいた鈴木俊宏社長は司会はするものの、技術については一言も話さなかった。

 「(俊宏社長は)スズキの技術が民主化され、ボトムアップになり、若い人が主導していることを見てもらいたかった」。ナカニシ自動車産業リサーチ代表アナリストの中西孝樹氏はこう解説する。

 この背景には修氏の〝陰の部分〟があるという。「修さんは技術者を信じなかった。さらにいうと、最大の欠点は社内を信じないということ」と中西氏は話す。唐突な人事異動も珍しくなく、取るものもとりあえずインドへ赴任する社員も珍しくなかった。

 こうした修氏のワンマン体制からチーム経営へと移行するため、俊宏社長は手を打ってきた。約30年ぶりに人事評価制度を変更。社員に求められる基準を明確にし、個人の能力を伸ばせる仕組みもつくった。「言いたいことを言えない雰囲気があった」(同社幹部)ため、技術関連本部では今年から「ちょっと話をしよう」活動を始めた。

 それでも修氏の功績は色あせない。1978年、48歳の若さで社長に就任した。それから43年間、スズキの経営を主導した。

 世界に先駆けて進出し、1983年から自動車の生産を始めたインドはいまやスズキを支える存在になった。インド自体も米中に次ぐ世界3位の市場になった。成功の理由を「たまたま運が良かった」と常に謙遜していた修氏だが「昔はひどいことも言われた。悔しくて〝今に見ていろ〟と思った」と漏らしたこともある。

 かつて取材した記者によると、日本の税制改正でも精力的に動き、毎年末には東京・永田町の議員会館を行脚する修氏の姿が見られたという。文字通り、身を挺して軽自動車の税制を守った。「自動車への課税はむしろ、経済政策として『地域経済をどうするか』という視点で考えていただいた方が価値がある」というのが持論だった。

 修氏が背中で語った経営哲学は海外でも引き継がれている。世界の社員の名刺の裏には、スズキの経営理念「スズキOS」が書かれているのだ。

 スズキには3つの行動理念がある。「小・少・軽・短・美」や「三現(現場、現物、現実)主義」(9月に改訂)「中小企業型経営」だ。このうち前の2つは、ローマ字で書かれている。

 「中小企業型経営」については「YARAMAIKA(やらまいか)」と意訳されている。遠州弁で「やってみよう」という意味だ。意欲的に挑戦していく精神という意味が込められている。

 修氏はリーマンショックに見舞われた時、「どんなに経済情勢が変化しても、利益を出し、発展することに変わりはない。今後は〝みんなで渡れば怖くない〟というのが一番いけない。苦難がどこも一緒な時に抜きんでる精神力が大事だろう」と語っている。世界の分断が進み、電動化や知能化の行方が見えない今も立派に通用する言葉だ。

 社是は英語で表記されている。小・少・軽・短・美は、製品や部品だけでなく、設備も含めてコスト低減につなげていくことができるという考えだ。修氏は「工場にはカネが落ちている。ムダを削れば削るだけ、利益を押し上げる」と話していた。スズキの工場の蛍光灯や、AGV(自動搬送車)などの自動化設備は最小限にし、ムダを省いた工場で車づくりを続けている。

 「スズキOSを守ることが私の仕事。そうだよな、オヤジ」。きょう、俊宏社長は心の中で修氏にそう呼びかけているのではないだろうか。

(藤原 稔里)

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