〈インタビュー〉スズキ、鈴木俊宏社長 インドシェア5割へ「1工場100万台が壁」 軽EVは「飛び道具ない」

  • 自動車メーカー, 連載・インタビュー
  • 2026年1月5日 05:00

インドの乗用車市場でシェア5割を目指すスズキ。2030年度までの年産400万台体制に向け、準備を着々と進める。国内では26年度内に軽自動車の電気自動車(EV)を投入する。各国での市場環境や今後の展望について、鈴木俊宏社長に聞いた。

-26年度は軽EVを発売する

「EVは、じっくりと顧客に知ってもらう活動をどれだけできるかだ。営業だけの仕事ではなく、設計や開発陣も含め、EVの特性や魅力を発信して売っていく部分でスズキの力が試される。財布の紐が固くなっている中、スズキの車の良さをアピールしていく。飛び道具はない」

アリーナとネクサ、つくり分けに苦労

-インドではシェア5割への回復を目指す。具体策は

「直近ではGST(物品・サービス税)の税率が変わったため、それに応じた車づくりが重要だ。人気の高いSUVもやらないといけない。もう一度、計画していたモデルでそのままで良いかを含め、検討する必要がある。販売チャネルでは(大衆車の)『アリーナ』と(高級車の)『ネクサ』があるが、スズキの実力で同じ車格で高級と標準という作り分けや、品ぞろえができなくなっている。アリーナとネクサのモデルを明確に分けた販売に注力したい。インド市場は右肩上がりで伸びると思っていない。販売網では農村部をさらに強化してシェアを伸ばしていく」

-アリーナとネクサの明確化をどう進める

「アリーナとネクサで商品が重なっているのは、EVなどマルチパスウェイでやらなければいけないので、(開発などの)工数が足りていない部分があると感じている。商品での差別化も今以上にやっていかなければいけない。工数が足りようが足りまいが、商品やブランドの差別化をする。しっかり手を入れないといけない」

-大衆車で若年層を取り込むには

「アリーナは生活に密着し、ベーシックカーで(ブランドを)育ててきた。ここを守っていかねばならない。顧客の考えが変わっていくので、時代に合わせてアリーナの立ち位置を変えていくことも必要だ。ただ、インド人口14億人でみたときに、アリーナの位置を変えても良いのか。(モビリティを持たない)10億人のアリーナ店である必要がある」

インド1工場で100万台が第一の「壁」

-インドでの400万台生産での「壁」は

「400万台生産の前に1工場で100万台生産というのが一つの壁となっている。今は気が付いていないが、将来課題が出てくると思う。一つは従業員だ。今の通勤は徒歩や自転車だが、生活レベルが上がったときに四輪車ユーザーが増える。駐車場の確保といった課題が出る。400万台でもなにかが起こる。それぞれの壁をどう乗り越えるか、未知の世界だ。スズキが経験したことがない部分が迫ってきていると感じる。労使ともにしっかりコミュニケーションを取り、うまく生産を回していく」

-次世代モビリティの手応えは

「『ジャパンモビリティショー』では、電動台車『ミトラ』や、パーソナルモビリティ『スズライド』などを披露した。もう少し早く商品化してほしい思いはある。そんな中でもスタートアップ企業とコラボレーションしながら、一般顧客が使うもの、荷物を自動で運ぶものなど、姿は少しずつ見えてきている。スズキだけではできない。さまざまな発想を含めて新たなモビリティづくりができる環境を整える」

-台数規模が大きくなり、国内ではトップメーカーに近づいている

「販売台数で議論する問題ではない。スズキがどう育ってきたかというと、顧客の立場に立ち商品を作ってきた。中小、大企業ではなくスズキの立ち位置としてやってきたことをいかに継続していくかが重要。そこがブレるとだめになってしまう」

部門を超え、もの言える雰囲気に

-子会社・スニックで下請け取引の違反があった。再発防止策は

「『今までやってきたから』という時代ではない。取引先に問題があれば話してほしいと呼びかけてきたつもりだが、末端にいくと(下請け取引の違反など)そういうことになってしまう。『仕事の進め方としてどうなのか』という意識を持ってもらい、確実に取り組む。何度も言いながら地道にやっていく。会社として『この取引は大丈夫か』という話し合いを自分だけではなく上司なども含めて話し、回していけるような環境整備もしなければいけない」

-社是と行動理念の「スズキOS」の浸透に注力しているが、難しさは

「スニックの話に通ずるが、いかに末端まで伝えるかだ。一度言って終わりではない。言い続けることが必要だ。ここ数年、さまざまな場面で社是や行動理念、スローガンも徹底的に入れながら発信してきた。今はオンラインもあるので、その場にいなくても『社長が言っている』というのを聞ける。でも末端に伝えるには10回、100回言っても伝わらないという意識を持ち、繰り返すことだ。その中で、部門や職場で一人でも波紋を広げていくという環境づくりもできればと思う」

-鈴木修氏が亡くなり1年。「チームスズキ」はどう変化したか

「縦割りの壁などを外しながら、とにかく横のつながりを作ろうということをやってきた。(部門の)壁の部分、『不干渉地帯ではなく、どんどん干渉する域だよ』と。越境してでも良いから、とにかく関係をつくるということを言ってきたつもりだ。ここ5年間で浸透できたと思う」

(藤原 稔里)

〈プロフィル〉すずき・としひろ 1983年東京理科大学大学院理工学研究科修了、同年日本電装(デンソー)入社、93年1月スズキ入社。2000年4月生産本部磐田工場長、01年4月ゼネラル・モーターズ駐在、06年6月専務役員、11年6月副社長、15年6月から社長。1959年3月生まれ、66歳。静岡県出身。

(2026/1/5修正)

関連記事