電気自動車(EV)に続き、燃料電池車(FCV)の普及シナリオが狂い始めた。〝震源地〟は米国だ。トランプ政権は1兆円を超える水素関連の支援策を縮小する方針。ホンダは、2027年度に稼働を予定していた次世代燃料電池(FC)システム工場の建設を延期する。もっとも、クリーンでエネルギー安全保障にも役立つ水素の利点は揺るがない。エネルギー自給率の低い日本は引き続き、開発や普及に力を入れる必要がありそうだ。
バイデン前米政権は、インフレ抑制法(IRA)や補助などを通じ、太陽光など再生可能エネルギーでつくる「グリーン水素」の製造支援や関連機器の低価格化を打ち出し、30年にグリーン水素の生産量を1千万㌧とする野心的な目標を掲げていた。
しかし、地球温暖化問題に懐疑的なトランプ米大統領は環境政策を一変させる。いわゆる「大きく美しい一つの法案(OBBB)」では減税財源をねん出するため、再エネ優遇策が削減対象になっており、その規模は35年までに最大2千億㌦(約29兆円)にものぼる。削減規模が決まったわけではないが、OBBB法案が成立すれば、米国の再エネ政策が大きく変わることになる。米国を主力市場とするホンダにとってもトランプ政権のこうした方針を踏まえ、苦渋の選択に至ったとみられる。
もっとも環境政策の修正は米国に限らない。EVについては野心的な普及目標を掲げていた欧州で実需との食い違いが昨年から表面化。各国が政策修正などに入る一方で、欧州の自動車や部品メーカーはリストラに追われている。
例外は中国だ。乗用車では「EV大国」としてすでに知られるが、実はFCVでも世界の先頭を行く。日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、24年の水素エネルギー年間生産・消費規模は3650万㌧で世界首位。グリーン水素の生産能力も年間25万㌧超と世界の半数以上を占める。FCVの保有台数は約2万4千台、水素ステーション(ST)数は540カ所と他国を圧倒する。資本主義国のような経済合理性ではなく、政府主導による〝力技〟で普及を強力に進める。
日本は正念場だ。石油危機を教訓にFCの開発支援をはじめ、09年には家庭用燃料電池「エネファーム」の発売にこぎ着けるなど、もともと水素では世界をリードしてきた。自動車分野でも、固体高分子型FCがけん引した90年代の〝FCVブーム〟が冷めた後もトヨタ自動車やホンダが開発を続け、トヨタは世界初の量産FCV「ミライ」を14年に投入、ホンダも16年の「クラリティフューエルセル」で続いた。
ただ、その後は性能が目覚ましく向上した乗用EVとの差別化が難しくなり、FCVの利点を生かせる商用車へと官民で方針を転換。今年から大型FCトラックの導入が本格化する局面にある。
トヨタ、ホンダともFCVの基幹部品であるFCスタックを商用車や鉄道、定置用などとして幅広く外販し、量産効果で性能向上と低価格化のサイクルを回す事業戦略で共通する。国土が広く、FCトラックの巨大市場と期待されてきた米国での需要が失速することで、この青写真が揺らぐ可能性が出てきた。
しかし、脱炭素社会を目指す世界の潮流は中長期的な目線では変わらない。特に、原油の9割近くを中東に依存する日本では、エネルギーのマルチパスウェイ(複数の経路)の取り組みは欠かせず、多様なエネルギー源から製造できる水素は引き続き、重要な選択肢の一つだ。
24年10月に施行された「水素社会推進法」は、LNG(液化天然ガス)との価格差や水素STの整備支援にとどまらず、高圧ガス保安法や港湾法の特例など、水素サプライチェーン(供給網)の整備を包括的に整備する画期的な法律だ。東京都や福島県、愛知県など、水素普及の取り組みは全国にも広がり始めた。脱炭素とエネルギー安保、新産業創出の〝三兎〟を追える水素関連技術の開発や普及を引き続き、官民を挙げて進める必要がある。
(編集委員・福井 友則)