今は亡きセルビアのメーカー「ザスタバ」。フィアットをライセンス生産していた
古い街並みや石畳の道も残る

旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一つで、南東ヨーロッパのバルカン半島中西部内陸に位置するセルビア共和国。人口693万人ほどの小国で、多くの日本人にとって馴染みが薄いが、実は隠れた親日国だ。地政学リスクが潜むものの、物価が安く英語が話せる人材がいることから、日系企業がビジネスを展開しやすい環境がある。筆者は今回、トーヨータイヤの工場取材でセルビアを初めて訪れた。現地の様子をレポートする。

日本出発から18時間

日本からセルビアへの直行便はなく、今回はハブ空港であるトルコ・イスタンブールを経由した。羽田空港を午後11時前に出発した飛行機は、約13時間半をかけてトルコに到着。2時間強のトランジットを挟んでセルビア行きの便に乗り継いだ。首都のベオグラード・二コラ・テスラ空港に到着したのは、日本出発から約18時間後だった。

なお、午後8時過ぎのベオグラード出発を予定していた帰国便は、濃霧の影響で出発が3時間ほど遅延したため、イスタンブール空港での日本便の乗り継ぎが叶わなかった。帰国前日と翌日も発着が遅れており、冬季夜間のフライトには注意が必要だ。

空港周辺は工事中で、バスや一般車の動線が混乱している。いわゆる「ぼったくりタクシー」の運転手の姿も見られたが、無視して市内に向かうバスへと乗り込んだ。

ベオグラード市内は、中心部は歴史を感じさせる建造物が立ち並ぶが、今回泊まったホテルのあるオフィス街は、ガラス張りのビルやショッピングモールもあった。市内はトラムが走り、バスとともに市民の暮らしを支えている。

一方、郊外に出ると広大な農地や原生林が広がっている。平坦な土地を突き抜けるように、高速道路が首都から郊外へと走っている。フラットで造成がしやすい土地の特性は、トーヨータイヤの工場設立の要因の一つにもなったという。

車窓からはジャガイモ畑やブドウ畑があちこちで見られ、農業が盛んであることが見受けられた。食事も色とりどりの野菜を口にすることができた。

今でも現役、ザスタバ車

街中を走るクルマは、ルノーやフォルクスワーゲン、シュコダが目立ったが、日本車やフォードなど米国車の姿も見かけた。さらに、今は亡き地元メーカー、ザスタバのバッチを付けた車両も現役で走っている。時代や国籍はバラバラで、その多くが中古車として取引されていると推察できる。

セルビアは日本での馴染みこそ薄いが、親日国の一つと言える。街中を走る黄色いバスは、1990年代の内戦からの復興にあたり日本政府が寄贈したもので、車両の外装にはセルビアと日本国旗が描かれていた。また、東日本大震災の際は、個人からも多くの寄付金が寄せられ、ベオグラード市内で被災者を励ます集会やチャリティーコンサートも開かれたという。今回の取材を同行したある記者は、サッカーワールドカップでの日本代表の活躍を労う言葉をかけられたという。

企業活動でも、日本たばこ産業やNTTデータ、矢崎総業、前川製作所などが進出している。直近では2022年10月に日本電産がモーター工場を竣工したほか、今回取材したトーヨータイヤのセルビア工場も、欧州初の製造拠点として12月に開所式を開催した。

潜む地政学リスク

ただ、セルビアには地政学リスクという側面もある。同国からの独立を宣言しているコソボとは緊張状態が続いている。日本はコソボの独立を承認しているが、セルビアは関係が近いロシアとともに承認しない立場を取る。市内には「セルビアとコソボは一つ」と描かれた落書きが複数見られた。また、コソボでは昨年夏、政府がセルビアのナンバープレートを付けた車両の入国を突如禁じ、セルビア系住民の抗議活動に発展した。

隣国クロアチアとの間でも、旧ユーゴスラビアの崩壊後に武力衝突が発生し、多くの市民が血を流した。ベオグラード市内には当時、北大西洋条約機構(NATO)から空爆を受けたビルが今も残る。今回通訳とガイドを引き受けてくれたクロアチア人のマルコ・メリチッチさん(30)に市民感情を聞くと、「若い世代には抵抗感は薄く、美しいベオグラードは人気の街。ただ、内戦を経験した世代は違うと思う」と複雑な心境を吐露した。

セルビア政府は経済成長に向けて外国企業の誘致に積極的で、トーヨータイヤ・セルビア工場の開所式やパーティーでは、大統領と首相がそれぞれ駆け付け、歓迎ムードを演出した。地政学リスクが潜む一方で、親日感情や助成金など日系企業がビジネスを展開しやすい土壌があることは事実だ。「100人いれば9割が日系企業を選ぶ」(経営幹部)と話すように、トーヨータイヤの現地での採用活動は好調だったという。

今後の経済成長が見込まれるセルビア。日本の自動車関連企業がどう根付き、どのように成長しているのか。数年後の行方に注目したい。