内海氏は明治29年生まれ。大正15年に米フォード自動車の販売代理店であった「山口自動車商会」に入社したが、それ以前は外国12回、国内9回と合計で21回も転職。この転職で習得した自動車の運転、整備技術や人脈、社交術が戦前の自動車黎明期、戦後のモータリゼーションで役立ち、山口県の自動車産業の育成、自動車の普及に貢献した。(山口日産提供)

波乱万丈な人生と数奇な運命に導かれ、日本のディーラー創設期に活躍することになる人物がいた。その名は内海舛一(うつみ・ますいち)氏。山口日産の前身である山口自動車商会(山口市)で自動車販売、整備の手腕を発揮する。ただ、ここに至る生い立ちがもの凄い。晩年、自ら「放浪記」と題した私記を残した。明治29年生まれ、平成5年に98歳で他界。そこには明治、大正…