トヨタ2000GT
パッソル

ヤマハ発動機は、長谷川武彦(はせがわ・たけひこ)元会長が老衰のため、5月7日に逝去したと発表した。満92歳だった。

長谷川氏は、1994年に同社社長に就任。2001年から03年まで会長を務めた。

長谷川氏は1931年11月生まれの愛知県出身で、1954年名古屋大学工学部卒業後、同年ヤマハ技術研究所入社を経て59年ヤマハ発動機入社。持ち前のチャレンジ精神で、同社初の四輪車製造となるトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)との共同開発車「トヨタ2000GT」(67年発売)の製造責任者を務めたほか、国産初の本格的スポーツ二輪車「YDS-1」(60年発売)のエンジンを開発。二輪車レース「世界グランプリレース」ではヤマハチームの監督として64年に世界チャンピオンに導いた。

また、69年に37歳の若さで取締役に就任し、女性需要に着目した足をそろえて乗れる50ccスクーター「パッソル」(77年発売)の開発を指揮したほか、87年には代表取締役専務に就任。事業開発本部長として世界初となる電動アシスト自転車「PAS」や「産業用無人ヘリコプター」の開発をけん引するなど、技術部門のリーダーとしてさまざまな製品を市場に送り出し、現在まで続く同社の事業多軸化の礎を築いた。

97年7月に海事功労で運輸大臣表彰、同年11月には産業振興功績で藍綬褒章を受章した。

通夜は10日18時から、葬儀・告別式は11日13時半からパルモ葬祭浜松貴賓館(浜松市中央区)で行う。喪主は、故人の長女の夫である祖山均氏が務める。