晴れやかな表情で今後について語るニデックの永守氏
恒夫氏の退任で初めて創業家以外で取締役を構成することになった村田製作所
ニッパツの茅本氏は部工会の次期会長に就任予定

新年度の訪れとともに、自動車サプライヤー各社では一時代を築いた経営者たちが第一線を退いていった。電気自動車(EV)の普及やコロナ禍でのサプライチェーン(供給網)断絶、半導体不足など、数多の転換期を乗り越えたリーダーたちが次代に見据えるものとは―。

 

◆ニデック・永守重信氏

「どこまでも夢をもって永遠に生き続けていく。死ぬまで働く」と、生涯現役を宣言したのは、今年80歳を迎えるニデックの創業者・永守重信氏だ。2月に自身の後継者として岸田光哉氏を指名し、永守氏は代表取締役グローバルグループ代表として今春から新執行体制を支える。

永守氏の性格がうかがえるのが、口癖でもある「1番以外は全部ビリ」。50年にわたる会社経営では、モーレツともいえるようなハードワークを実践し、昨年には「小さなプレハブ小屋から、京都初の(売上高)2兆円企業」を達成した。2003年に完成した本社を京都一高いビルにしたのも、自身の負けず嫌いな性格を象徴するエピソードといえる。

今後は「少しペースを落とす」としながらも、後継者の育成やM&Aに携わっていく。これまで、買収を通じて赤字企業の経営再建で手腕を発揮してきた。「つぶれる会社を輝かせる喜びは計り知れない。中毒のようだ」とその醍醐味を語る。当初、4月以降は代表権を持たない意向だったのを翻意したのも、この〝M&Aの魔力〟ゆえだろうか。

車載事業では収益性改善の兆しが見えない中、昨年の株主総会で「(危険や状況の変化を察知する)〝炭鉱のカナリア〟は辞めない」と語った永守氏。今後サプライズはあるのか、一挙手一投足に注目が集まる。

 

◆村田製作所・村田恒夫氏

ニデック、京セラと並んで「京都御三家」と呼ばれる村田製作所でも、創業家出身の村田恒夫会長が退任し、相談役になることが発表された。恒夫会長は、創業者の昭氏の次男にあたり、07年に実兄の泰隆氏の跡を継いで社長に就任。スマートフォンや通信機器、自動車向けを中心に、セラミックコンデンサでシェアを拡大し、売上高を07年度の約6千億円から14年度には1兆円台に伸長させた。

M&Aを含む新分野への進出や、帝人など他社との協業、商工会議所活動などを通じて中小企業への目配りに力を入れたことなどでも知られる。そうした素地をもとに、京都では試作を強みとする中小企業のネットワークなどが育っている。

同社の創業80年の歴史の中で、創業家が取締役から外れるのは初めて。恒夫氏は「70代になってエレクトロニクス分野に関わり続けるべきか、若い感性が必要ではないかと考えた」と退任の理由を語る。先に行われた決算会見では、最後の参加となった恒夫会長に対し、創業家としての関わり方に多くの質問が飛び交ったが、「ものづくりの姿勢を伝えることが大事」と後進の育成に意欲を見せた。

 

◆ニッパツ・茅本隆司氏

茅本隆司氏は2017年にニッパツの社長に就任した。歴代社長の大半を事務方出身者が占める同社では、初めての技術者出身のトップとなった。

取材の際、茅本氏にこれまでの経歴で印象深かったことを聞くと、必ず挙げる話がある。「社宅」のエピソードだ。

茅本氏は若い頃、社宅に住んでいたそうだが、建物が老朽化で取り壊されることになり、住民たちは急な退去を命じられた。当時の同社は収益性の悪化もあり、その影響が福利厚生を含む様々な所に出ていたそうだ。

会社側のあまりにも一方的な要望に憤りを感じた茅本氏は、引っ越し費用や他の社宅への転居許可などを求め、住民代表として会社との話し合いに臨むことになった。議論に議論を重ね、住民側の大方の要望は通ったが、会社の業績不振が、従業員の生活を脅かす現実を目の当たりにした。この時の原体験が「持続的に利益を出し続ける企業でなければいけない」という経営者としての理念を作り上げたと言う。

仕事では決して妥協を許さない。その一方、社員考案で自身がモデルのゆるキャラ「カヤモン」が誕生するなど、親しみやすさも兼ね揃える。

家庭的な一面もある。趣味の料理の腕前はプロ並みで、社内報の企画では45分間に一汁三菜を作り上げ、社員達を驚かせた。働きながら大学院に通っていた間も、欠かさずに夕食当番を続けていたという。過去には、愛妻とは「胃袋で繋がっている」と嬉しそうに話していた。

4月からは同社の会長職に就き、後任の上村和久社長COO(最高執行責任者)をサポートする。また、日本自動車部品工業会(部工会)の会長にも5月に就任予定だ。部工会ではこれまで総務委員長として業界の取引適正化に取り組んできた。今後は部工会のトップとして、変革を迫られる自動車業界の荒波に挑んでいく。

(草木 智子、村田 浩子)