昭和33年秋に名古屋から神戸に戻り、中古車部に配属された。下取りした中古車を売りさばくため、鹿児島あたりにも出向いたりした。そうこうしているうちにユーザー売りをしろ、といわれ店頭営業もした。当時の自動車営業マンというのは猛者揃いで、1カ月の給料に相当する販売奨励金を一晩で使い果たすのが通例だった。当社には新車部門が三ノ宮、中古車は新開地でというの…