実車とミニカーが融合するコラボレーションとなる
柿沼秀樹氏(本田技術研究所オートモービルセンター シビック TYPE R開発責任者)
多田哲也氏(トヨタ自動車 GRスープラ開発責任者)
田村宏志氏(日産自動車 商品企画本部商品企画責任者)
トミカの50年の歩みはそのまま日本の自動車社会の歴史にもつながる
日本のスポーツカー文化を支える3人が一堂に会した
タカラトミー 富山幹太郎代表取締役会長

 日本の子供たちに国産車のミニカーで遊んでもらいたいと誕生したタカラトミー(小島一洋社長)の「トミカ」が誕生50周年を迎える。1970年8月18日に6車種で発売を開始し、これまでに1050以上の車種を発売し、累計販売台数は6億7千万台を超える。50周年を迎え、自動車メーカーのデザイナーがデザインした記念モデルの販売や、ファン感謝祭、記念コレクションの販売をはじめトミカのアニメ化、はとバスやロッテなどともコラボレーションする。三世代にわたって日本の自動車文化の発展にも貢献するトミカの50年を盛り上げる。

 トミカ50周年自動車メーカーコラボプロジェクト。トークセッションには、コラボするホンダとトヨタ、日産のスポーツカー責任者が出席し、今回のコラボやトミカへの思いを聞いた。

―トミカ50周年自動車メーカーコラボプロジェクトのオリジナルデザインについて

 柿沼 社内デザイン部門でコンペを行い、今回のデザインを選んだ。おめでたい色ということで、金色と紅白を基調にした。スポーツカーTYPE Rの機能性のアクセントやデザインのモチーフに赤色や金色を配色。お父さんがミニカーを持って子どもに見せながら赤いところが空気を取り入れて冷やしているんだよとか、クルマの機能性をカラーでモチーフにして子供とお父さんが仲良くなれるような思いで描いた。担当者には4歳の子供がいて、自分と子供のやり取りを想像しながらデザインを考えていった。

 多田 トミカを遊んでいるシーンを思い浮かべ、上から見て一番かっこいいものにしようと決めた。実車のデザイン、特にスポーツカーは運転者に見えるミラーに映ったリアフェンダーも大切。鏡に映ったときに一番きれいになるように形をつくりあげている。だからこそ、今度の場合は上から。

 田村 トミカさんにスポンサードしていただいたスーパーシルエットというレーシングカーの赤と黒をモチーフにした。40年前のスカイラインのため、GT―Rという名前よりもスカイラインRSとなるが横面に赤と黒の境界線をいれるため、配色のバランスが難しい。ベース車のGT―Rにはキャラクターラインが入っており、別の線を入れることになるからデザイナーは毎日、毎日悩んでいた。

―トミカはどんな存在

 柿沼 幼稚園の時におもちゃ売り場にトミカのミニカーが並んでいて、ある日ゴールドに輝くクルマを見つけた。見た瞬間一目ぼれして、欲しい、かっこいいと思っていた。毎日、見に行っていたら見かねた母親がようやく買ってくれた。うれしくて次の日、幼稚園に持って行ってみせびらかしたもののまんまと無くしてしまったが、ずーっと頭の片隅にあった。大学2年の時にバイト先の社長さんに新潟営業所へつれていってもらった際に出会ったのが幼稚園の時にあこがれたクルマ。社長に頼み込んで譲ってもらい、学生時代に乗った思い出がある。

 多田 スポーツカーを発売してファンはたくさんいらっしゃるが、本物はなかなか買えない。クルマが好きになって、スポーツカーのカルチャーを広げていくためには、ミニカーがどんなに大事かということに気が付いた。逆に、私たちからアプローチしてトミカを作ってもらって、それによってクルマが売れる、クルマが広まっていくことのサイクルをつくりたい。86のワンメイクレースのスポンサーを無理やりお願いしたり、スープラでは発売の1年前に作って頂いた。

 田村 集められる大きさ、単価がトミカの良さだろう。50年前に出たトミカのフェアレディZが印象的だ。フェアレディZとGT―Rも昨年50周年。40年前にスカイラインでスポンサードして頂いたり、30年前にR32が出たときのトミカであるとか、私どもも50周年を迎えトミカの50周年には非常に親近感がわく。私たちの子供時代もそうだし、次の世代に続いていくための50周年ではないか。

 トミカ50周年自動車メーカーコラボプロジェクトは、ホンダとトヨタ、日産の自動車メーカー3社が協力、実車のデザインを担当する各社のデザイナーが特別な50周年のデザインを考案した。子供たちの憧れでもあるスポーツカーがベースだ。4月に「Honda シビック TYPE R」、6月に「トヨタ GR スープラ」、8月に「日産 GT―R」のトミカ50周年記念仕様を発売する。

■タカラトミー 富山幹太郎代表取締役会長

 日本の子供たちに国産車のミニカーをとの思いから誕生したトミカは、おかげさまで今年50周年を迎えた。トミカを愛している子供達、トミカファンの皆様に支えられての50年だった。同時にトミカの歴史は、日本の自動車産業の皆さんが築いてこられたクルマ文化の歴史なくしては語れない。自動車会社の皆様に心から感謝を申し上げる。販売店、問屋さんにも50年お世話になった。感謝申し上げる。

 トミカが誕生した1970年。当時ミニカーといえば外国製ばかりで、しかも車種は外国車ばかり。トミーはプラスチックが全盛で、ダイキャストは全くの素人だった。そんな中で先輩たちがミニカー専用の工場を新設した。失敗を繰り返しながらも、海外のミニカーメーカーに負けないものを作るんだと、強い思いで開発にあたった。デザインのこだわり、走りの良さ、可動部分を踏まえた遊び勝手、トミカは手のひらサイズの国産ミニカーを心待ちにしていた子供たちを一瞬で虜にした。

 生前父によく、お前はいつまで俺の作ったもので飯を食っているんだと言われたことを思い出す。でも、先輩たちが築いてきたものを引き継ぐというのは決して楽なことではない。日本の専用工場をあきらめて生産地を海外に移転した。中国、そして現在はベトナムで生産している。

 こだわる心、譲れない思いを忘れることなく、時代の変化に対し柔軟な姿勢で臨まなければ、トミカはただの小さなクルマのおもちゃになってしまう。子供たちの手のひらから、この先50年、100年と私たち自身が本当に大切なものをしっかり継ぎ、進化し続けていくその覚悟を持つことが必要なのだと思う。

 この先、時代はどう変わっていくのか。子供たちのライフスタイルはどう変わるのか。技術の進化は。私たちを取り巻く環境は。クルマ社会の発展は。変わりゆく時代のなかで、トミカがこの先どんな進化を見せてくれるのか、私自身全く想像できない。だからこそ、わくわくする気持ちが止められない。

 50年という節目を迎え、トミカにかかわるすべての方に心からの感謝をお伝えするとともに、これからのトミカから目を離さないでください。